タックの庭仕事 -黄昏人生残日録-

元・文章のプロが書く達意でない文章

<3月11日付『釧路新聞』第3面「巷論」参照>

 巷論の筆者が言わんとするところは、要するに、「回文は一種の言葉遊びだが、『ギンザでザンギ』のような秀逸なものは、活字文化や正しい日本語の保全に役立つ」ということだろう、多分。 こういう浅薄な前提を基に、次の文章を読んでみよう。

 回文は一種のことば遊びだが、活字文化が危ない。
 とりわけ日本語が危ないといわれるご時世だ。

問題点
 ①「ことば遊び」・「活字文化が危ない」→ 因果関係
 ②「活字文化」とりわけ「日本語」→ 語の並べ方

 前者は、「ことば遊び=活字文化の危機」の意とすれば、論旨に合わない。後者は、「現在、日本語の乱れが問題で、 とりわけ活字文化が…」という流れにしたいが、 ま、 書き直しても、 それで締まりのない駄文がどうなるものでもない。 言葉遊びとしては面白い「ギンザでザンギ」で「日本語の危機」が救えるのか。 「ことば遊び=日本語の危機」の意では論旨に合わないし、こりゃ意味不明だ、日本語の危機だよ。
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