現役を退く五年ほど前、訳があって、本職とは全く関係のないJ・D・サリンジャーの英文・和文の文献を集めたことがあった。
私は学者ではないから、学術論文という代物とは縁がないが、一応は学士論文(4単位)が必修の四年制大学文学部を卒業したので、学生の論文紛いくらいは書ける。知人の頼みを断り切れず、できの悪い娘の学士論文作成の手助けをする羽目になったのだ。
ま、努力の甲斐があって、彼女は無事卒業できた。1月30日付『讀賣新聞』第36面で「サリンジャー氏死去」の報道記事を読み、いささか感慨なきにしもあらずだった。 当時蒐集した文献のほとんどは、田舎家の書庫の段ボール箱に納まっていて、いま書斎にあるのは写真の四冊だけである。彼女には、The Catcher in the Rye のペンギン版原書を与えたが、もう手元には残っていないだろう。
中華人民共和国では、「300以上の論文執筆代行業者があり」(1月10日付『北海道新聞』第5面)、学術論文が売買され、約百三十五億円規模の市場が出来ているという。日本でも、東京の大きな大学の近辺に学士論文執筆代行者がいると聞いたことがあるが、私は代筆者ではないし、謝礼も受け取っていない。
学生時代に野崎孝訳を読み、就職後、原作は半分しか読んでいなかったが、若い女子学生にThe Catcher in the Rye 解釈の手ほどきをすることに心地よい緊張を感じた。だが、今でも米国の一部の図書館で有害図書に指定されている小説の主人公ホールデン少年の大人社会に対する攻撃的言動に酒や煙草、セックスや売春に関する表現を彼女がどう受け止めたかは分からない。論文のテーマは、「述語動詞"go"の意味の変化に対応する主人公の心理状態」というご大層なものだった。
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