最近、町内の回覧板の当番が、4月に新しい当番の人に代わりました。 中国人なのですが、最近「中国人は回覧版の仕事もできないのかなあ」 みたいな声を聞くので、今回は町内会とかの回覧板のお話になります。
私三之橋の住んでいる下町では、昔から1年に1度回覧板の係が隣の家に移動します。
新しく当番になると、去年のチェックリストを名簿の順番を自分が1番下になるとかでエクセルの表計算で作成する。
月に2回、回覧板の仕事が発生する。
まず、「回覧用」 と書いてホッチキスで留めてあるものを回覧板の台紙にセットし、隣の家の郵便受けに入れる。
次に、表計算で作成した名簿を1番上になるようにして、回覧用という配布されたものの上にセットしておく。
その回覧を見て、「私は読みました」 とチェックリストの自分の名簿の欄に印鑑を押す。
まあ、会社員だと誰でも経験すると思いますが、回覧とか、告知してあるものに「私は読んで理解できました」 とシャチハタを押したりする。
そういう感じで回覧板が2週間に1回発生している。
それで同時に、”配布用” と書いてホッチキスで留めたりしているものが2部とか3部あり、それを各世帯用に1つずつまとめて、回覧板の係の人がその家の郵便受けに投函する。
つまり、回覧板というのは、回覧で1つの書面をみんなで共有し、警察の交番からのお知らせを読んだりしているのと、それとは別に「これはあなたの家用ですので冷蔵庫にマグネットで貼るなどして読んでおいてね」 という2つの種類がある。
まず、回覧板のシステムというのは、各世帯の家の郵便受けに隣の家の住人が回す。 回す過程で、「あれれ、回覧板が戻ってこない」 という異常に回覧版の係の人が気づく事がある。
この前、「誰かが死んだっぽい日」 という記事を書いていますが、翌日に知的障害のある人から私の家族に、近所の〇〇さんが死んじゃったみたいで警察が来ていたとお知らせがありました。
あんな感じで、一戸建ての家に住んでいる人が亡くなっている事に周りの住人が気づく事ができる。
後は、”配布用” という書面があり、それを各家用に1つ1つまとめていき、回覧板の係になった人が担当している家の郵便受けに投函していく。
もしも郵便受けに郵便物や新聞が溜まりまくっていれば、「何か異常かな」 と感じ、組合長とか、上の方に連絡をする事ができる。
高齢者だとある日入院しているという事もありますし、死亡したり何かあった時のための親族との連絡用にお兄さんなど兄弟の携帯電話番号などを預かっているとかあります。
回覧板で担当している人が、その担当している家の郵便受けに配布に行くことで異常に気付くことができ、その際は上の組織に連絡するとかすれば済む。
もちろん、回覧版の担当者がいるので、「最近私の家族が具合悪いので入院しています」 とかを話しておき、飛ばしてもらうとかもしたりする。
ざっくり言ってしまえば、回覧板のシステムがないと隣の家の人と挨拶もしない人がいたりするので、その人に簡単な仕事を与え、配布に行った時とかにその家の人がいて「こんにちは」 とか挨拶したりする機会を与えている感じもある。
そういうシステムになるのですが、今年4月に、回覧の分とそこに、”配布用” が挟んであり、「各家で自分の家の分を抜き取って回して」 と書いてあった。
急にシステムが変わったという事で、新しい担当者が中国人なのでそういう風に各家に配布に行かないのではないかというお話がありました。
「ただの認知症じゃないですか」
そう私三之橋は言ったりしています。
そもそも回覧板のシステムというのはですね、一戸建てに住んでいる人が隣の家の人とさえ話す事がないとか起こる。
自分の家の隣から回覧板が回ってきて、自分が読んで印鑑を押して、隣の家に回す。
そうすれば、最低両隣りの家の人とは挨拶するとかになる。
後は、記憶とかの問題で、いざ自分にそういう仕事がまわってきた時に覚えていないとかの問題がある。
理論上は隣の家から当番がまわってくるので、わからなければその隣の家に「どういう風にやれば良いですか」 と相談すれば済むという感じ。
こんな事をブログ記事に書いていますと、「あれはネタで冗談ですよね?」 と真顔で訊く人がいらっしゃるのですが、回覧板の係というすごく簡単な仕事を当番で回したりしますと、精神病の人とかがどうしてもできないと言ったりするとかあるので、それで隣人は気付くとかあるのです。
「これは回覧用です、これは配布用です、さあ仕事をしてください」 と簡単な仕事がまわってくるとどうしてもそれをできないとかの結果になる。
何年前だったか近所の人がどうしても回覧板の仕事がもうできないと言うので私三之橋が交代し、「〇〇さんから体調不良で相談あり、回覧板の係を引き継ぎました」 と書いて交代した。
後は、引き継ぎノートがあったので、「私三之橋が交代し、4月になると新しい当番になられた人が前任者がいつ頃集金していたのかを覚えていないとかで4月になった途端にアポなしで集金に行かれ、小学生とかいれば入学式とか新学期となっていたりするので迷惑に感じる声があった。 元々は4月下旬に回覧板の担当者が担当している家に週末午後とかに行って、1年分¥3,600分を集金していたのに、誰かが覚えていない事で4月になるとすぐに集金し、その結果翌年も真似る事になってしまったので、元の4月下旬に戻してください」 と書いていました。
例えば、子供の頃からそこに住んでいるとします。
大学に行って、卒業し、どこかの企業に新入社員として入社して働いたとします。
そんな人ですと、ある日自分が回覧板の係というのが回ってくれば、「前任者はどうしていたかな」 という記憶をたどり、前任者と変えないようにその仕事をやっていく。
最後の3月に報酬をもらえて、次に担当者に引き継ぎノートを渡し、その後任者も同じようにやっていく。
簡単な仕事だけに、それができないと、「あの人ちょっとおかしいですよね?」 みたいになってしまい、因果応報という感じで差別を受けるとかの結果になる事があるので、隣の家だけに引き継ぎとかで間違わないように教えてあげないといけないという感じもある。
そんな感じなので家がそばにある人が間違うとマズイと思いまして、4月下旬に集金に行くとか書いていたのですが、4月になったらすぐに集金に来られてしまった感じ。
なぜブログ記事に書いてあるのか?
を書いておきますと、日本の歴史は小学生で習ったように、”集落と厄介者” との構成だったりします。
集落で、その町内なりに「こういうシステムで」 みたいに回覧板のシステムでも決めて回していくと、必ずその簡単な仕事ができない人が出たりする。
「自分が担当者なので全部好きなようにできる」 みたいな思い込みとかでそうなると思うのですが、交代制の仕事とかって決められた通りに正確にトレースするスキルを見ているだけですよ。
今高校生であったり、大学生だったりする人だと、回覧板のシステムって担当になった人が1年間働いてお小遣いをもらっている感じで、名目上仕事といっているだけでお金を回しているだけではないの?
とか思ったりすると思うのですが、社会人になると一見大した仕事でもなさそうなものに見える事がきちんとできないというだけで、自分が厄介者になっているとかあるのです。
小学生の頃とかに、色盲とか色弱の検査があって、後ろで見ていて見えるのに、「見えません」 と言っている子がいたりするじゃないですか。
それと同じように見えない人には自分とかがうまく見えない。
大人になった時に簡単な仕事をさせるとか、車の運転させると見えない人は自分の行動が語ってくれるような感じ。
回覧板だと住環境となり、高齢者など環境の変化を嫌う人とかいたりするので前任者とやり方を変えない方が良い。
あとは学生だと気づかないと思いますが、仕事の会社環境でも、何か備品とかを使い、元あった場所に片付けできないとそれを忌み嫌う人もいたりして、「今度入ってきた新入社員のあの子は育ちが悪いのか片付けもできない」 と言われるとかあります。
ざっくり言えば記憶力が悪い人程損をするというのが世の中の仕組みみたいな感じ。
人間の法則ってご存じでしょうか。
例えば、下町とかに住んでいる人がいて、小学生の子供が道路でボール遊びをしているとかあると危ないし、道路ではボール遊びは禁止だったりする。
あるいは月極駐車場内でボール遊びでもしていれば、誰かの車の傷が付くとかあるので、そんな光景を見たら大人が注意したりする。
その子の親が知らないのかもしれないので、親に話しておくとかもある。
あるいは、親が発達障害で子育てができないような人もいるので、その子供の為にも注意した方が良いと考えたりする。
でも、18歳とか大人になるとそういうのが消える。
よく大学生になった18歳とか親元を離れ1人暮らしをしたりすると、そばに親とかがいなくなるので、一気に人生がもつれ始める人がいたりするじゃないですか。
「もうあの年齢だと注意してあげても直らないだろうなあ」 とハブられる。
でも、人によっては、誰からも文句を言われないので誰にも迷惑をかけていないと思い込む人がいて、悪化の一途を辿る。
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