二年前の2011年4月末、東日本大震災から二ヶ月も経っていない東北の姿をこの目に焼き付けておこうと宮城県の仙台へ行きました。
あれからちょうど二年後の今年2013年4月末、東北の被災地の復興状況を見ておこうと東北の福島、宮城、岩手を回って来ました。
しかし、二年後の東北の被災地はまだまだ被災地のままでした。
今回、GWの二泊三日という限られた時間の中で駆け足で回ってきました。
その為、写真足りなかったり、言葉が適切でなかったり、回れなかったり、思うように伝え切れない部分もあるかも知れません。
今後も継続して東北を回り、東日本大震災の復興状況を報告していきたいと思います。
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GWの4月26日夜に出発し、福島西ICから飯舘村、南相馬、仙台の塩竃へ北上、
二日目は仙台市内から松島、石巻、女川へ行き盛岡へ、
三日目は盛岡から釜石から大船渡、陸前高田、気仙沼へと南下して南三陸へ
到着した頃には既に真っ暗となり帰路へ着きました。
結局、雄勝へ訪問する事は出来ませんでした。
- 飯舘村 -
飯舘村の荒れ果てた農地と人気の全くない街並み。
- 南相馬 -
南相馬、津波に呑まれた車。
東北電力・原町火力発電所脇の海岸、若者達がサーフィンに興じています。
火力発電所も被災してまだ稼働出来ていません。
比較的農地が多い場所ですが、
点在している家屋はほとんど一階部分がやられています。
除染の廃棄物らしきものが行く宛もなく、たくさん並んでます。
護岸の為のテトラポットがあっちこっちで作られていてたくさん並べられています。
まだまだ全然足りてないですね。
最近、大林組が海砂でそのまま作れるテトラポットの技術を完成させたとか。。。
この辺りは住宅が集中していた様ですが、一軒もありません。
この先行き止まりの標識が。。。まだ、道がありません。
お墓があったらしく墓石が山積みされてます。
- 仙台・塩竃 -
二年前に初めて見た仮設住宅です。その時はまだ建設途中でした。
二年前、塩竃近くの七ヶ浜の海岸近くで人目を気にしながら撮影した写真です。
テレビであれほど見てきたつもりでしたが、
形あるもの全てを破壊し尽くす津波の圧倒的なパワーを実際に目にすると絶句し、
これ以上見て回る事が出来ませんでした。
全部で数枚の画像をカメラに納めましたがその内の一枚でした。
この時はさすがにこれ以上シャッターを切れませんでした。
二年後の今年の状況はというと、ようやく更地に戻って来たという状況です。
ツアーのボランティアらしき人達が瓦礫片を丁寧に拾っていました。
- 二日目、仙台 -
仙台の市内は普通の生活でした。
- 松島 -
ここは点在している島々のおかげか比較的被害が少ないと聞いてます。
観光客もたくさん訪れていて賑わっています。
ちょっと立ち寄りました。
航空自衛隊、松島基地、ブルーインパルスの格納庫です。
テレビの報道で見た場所です。
落ちた橋の横に橋が架けられています。
- 石巻 -
築後間もない、住宅地が被害を受けています。
全ての住宅の一階部分は被害を受けていて誰も住んでいません。
ホット横丁の屋台村がありました。
サイボーグ009
石ノ森章太郎萬画館、復活!
被災後の様子1 *この写真はお借りしたものです。
被災後の様子2 仮面ライダー1号役の藤岡弘さんのサイン *この写真はお借りしたものです。
被災後の様子3 *この写真はお借りしたものです。
ロボコンがいました。今日は満点!
- 女川 -
小さな女川漁港の壊滅的な被災跡と津波で倒れたままのビル。
裏の神社が避難場所となった女川町地域医療センター(旧女川町立病院)です。
ここのビルの一階まで津波が押し寄せました。
女川の港に西側から入って来ると最初に見えてくるのがこの江島共済会館です。
女川の場合、この会館、交番、店舗の3つの建物をそのまま残している様です。
西側から近づいて来ると最初はビルの屋上側が見えてくるのですが、
倒れているのがわかりませんでした。
女川の小さな街は跡形も無く消え去りました。
この辺りは地盤沈下で満潮時には数十センチ浸水していると書かれています。
平成24年12月10日には災害危険区域が指定されています。
その為、住宅が建てられない等の土地利用に制限が設けられ、
復興計画では高台移転が計画されています。
医療センターの駐車場にある『希望の丘』です。
この隣にNHKドラマ『ラジオ』の舞台となった女川災害FMがありました。
サンドウィッチマン (お笑いコンビ)の津波のポスターです。
共済会館を地域医療センターの高台から見た写真です。
大きな仮設住宅です。
- 三日目、盛岡 -
桜の季節を迎えていました。向こうに岩手山が薄ら見えています。
大きな仮設住宅です。
- 陸前高田 -
雇用促進住宅 陸前高田第二宿舎の建物です。
四階部分まで浸かったのが良くわかります。
以前は裏手にもう一棟残っていた様です。
陸前高田の5kmに渡る広大な津波の被災跡。
長く続く丘の様な瓦礫の山脈。
まさに壁となっています。
道の駅『高田松原』、今は道の駅も松原もありません。
道の駅の前に慰霊用の建物が立てられています。
広大の平地の全てが流されました 。
被災した建物の隣の駐車場に車を止めて行ってみるとなんと『奇跡の一本松』です。
最初は全く気が付きませんでした。
駐車場には警備員までいました。
傍らには被災した建物がいまだ残っています。
これ以上は近づけませんでした。
震災前の風景と一つ変ってしまっています。
松原がなくなってしまいました。
気仙中学校です。
前に松原があった場所です。ほとんどの松は根元から折れている様です。
今、大きな町、小さな町にかかわらず被災した地ではどこも
プレハブの商店で頑張っています。
大きな街では複数の商店街があります。
- 大船渡 -
大船渡の打ち上げられた大型漁船。
第十八共徳丸です
やりますよ。
プレハブのコンビニ
- 南三陸 -
歌津、国道45号線歌津バイパスの橋梁。
誰かが避難したであろう神社の鳥居と階段。
歌津のプレハブの仮店舗、大漁旗が並ぶ伊里前幸福商店街。
ここにもプレハブのコンビニがありました。
頑張ってます!
ゼロからのスタートという言葉があります。
被災地だった場所は未だにスタート地点に立っていません。
未だ復興途中。。。
一度、本当の姿を見て下さい。
*今回撮った写真は全て個人のブログ掲載が目的であり、被災後の写真を一部お借りしています。
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