2014年春。
東北は震災後、三回目の新緑の季節を迎えていてます。
復興はというと季節のスピードよりも遅く、まだ春は訪れていない様です。
今年考えさせられたのは震災遺構をどうするのかと言う問題でした。
保存か解体か。。。
いろいろな意見がありますが、いかに後世に伝えていくかを良く考えて欲しいと思います。
女川では八重桜が見事に咲いていました。
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5月2日夕方出発、一路東北を目指します。
普段、通らないスカイツリーの脇を通過。こんなに大きくツリーを見たのは初めてでした。
翌朝、石巻を経由、女川からスタートして昨年、時間切れとなってしまったあの大川小学校と雄勝へ向かう予定です。
女川町地域医療センター(旧女川町立病院)へ登る階段です。
昨年まであった女川サプリメントは姿を消しました。
残っている倒れた建物は江島共済会館と女川交番の二棟のみとなりました。
女川交番は震災遺構として保存が決まったと聞きました。
昨年、写真に納められなかった女川さいがいFMです。
女川町地域医療センターの敷地内で今も活躍中です。
入り口にももいろクローバーZが書いたコメントが貼られています。
うらに行くとケロロ軍曹、ももいろのサインもありました。
女川に来るときはいつも天気がいいです。
桜も見事です。
女川町地域医療センター裏の熊野神社では御輿の奉納が行われていて、多分、ちりぢりとなつた女川町民がこの熊野神社に久しぶりに集まった様です。
対岸からの遠望です。
こう見ると人間が作ったものはこんなにもちっぽけで自然に対しては何とも無力です。
今は静かな時が流れています。
大川小学校。
校庭には慰霊碑・献花台が二つあり、GWだからなのか今年は以前と違い訪れる人もやはり多いです。
大川小学校はカーブ、曲線を生かしたモダンな作りとなっています。
今は中は立ち入り禁止となっていてボランティアが中で作業をしています。
教室から続くプール!?の更衣室のアプローチです。
こちらの棟も教室だったのでしょう。
丸い棟の教室です。4つ以上の教室があったようです。
まだ、黒板も残っていました。
教室から続くプール!?の更衣室のアプローチです。
鉄筋コンクリート造りでかなり立派です。
二階からも渡れる設計の様ですね。
裏山と川側の境です。
山はご覧の様にかなり急斜面なので、川沿いの道路を使って裏への避難が必要です。
今回の震災では津波は川を逆流して海からではなく、川から溢れてやって来たと聞いてます。そうすると、逃げ場がない??
対岸からの様子です。
こう見ると確かに山が急過ぎて裏へ回り込まないといけません。
北上川を渡る鉄橋も修復工事跡があります。
昨年、北上川の対岸を走った時は夜だった事もあり、まだまだ工事中だった記憶があります。
かなり整備された様に感じます。
ボランティアらしき人達が畑で作業中でした。
小石や細かい瓦礫などを取り除く作業をしていました。
被災したガソリンスタンドがまだそのまま残っていました。
気仙沼線です。寸断されたままとなっています。
昨年、時間切れで夜になってしまって寄れなかった南三陸歌津の伊里前福幸商店街です。
名物限定ウニ丼を賞味しましたが、残念ながら写真を取り忘れました。
気仙沼線、小金沢駅跡です。
海からこれだけの高さがあるにもかかわらず、線路下の土は消失、ホームもえぐれています。
近くにあった民家はなくなり、前の旅館も被害を受けました。
以前はこんなでした。*この写真は日々是電脳写真さんからお借りしました。
被災直後の様子です。向こうにあった駅舎が反対側の手前に流されています。
*この写真は日本鉄道旅行地図帳東日本大震災の記録さんからお借りしました。
杉ノ下漁港のあった宮城県気仙沼市の杉ノ下地区です。
ここも何もありません。
住民312人のうち93人が犠牲になりました。
陸前高田に到着。
しかし、一年前には無かった見慣れないものが。。。
これが一年前の様子です。まだ、堆く瓦礫の壁がありました。
道路自体は昨年と変わっていないのですが、
道路を走っていると左右にベルトコンベアらしき巨大で長い建物が建てられています。
スターウォーズに出てきそうなロボットの様にも見えます。
このコンベアの吊り橋は希望のかけ橋です。
一般公募で名前を募集して決まったそうです。
高台に重機が見えています。
高台移転の為の整地の際に出る残土をコンベアでかさ上げ用の残土として運搬しようという計画です。
トラックなら10年かかるところコンベアで2年で完成させる込みです。
今日見たテレビでちょうどその様に言っていました。
その中に奇跡の一本松は立っています。
コンベア敷設の為か見学ルートも昨年と比べて変わっています。
昨年は橋の途中まででしたが、今年は橋を越えた間近で見学出来る様になりました。
被災した建物そのまま近くで見れます。
この辺りは古株の跡があります。昔は白砂青松が広がっていたのでしょうか。
被災していた建物ですが、修復されて綺麗に甦っています。
そばにあったもう一棟も修復が完了していました。
以前の様子です。写真でも二棟立っているのが分かりますが、二棟共に被災していて使える状態ではありませんでした。
陸前高田の5kmに及ぶ広大な土地です。復興にはまだまだ膨大な時間がかかるでしょう。
まだ、復興途中、スタート地点には立っていません。
この写真は震災直後の4月末に見た塩竃近くの七ヶ浜近くで人目を気にしながら撮影した写真です。
これは昨年の写真です。
瓦礫はなくなり整地は終わりました。
これは今年の写真です。
まだ、作付けは出来ない様です。
被災地にいる人、行った事がある人なら分ると思いますが、
被災地に行くと浸水区間の標識が立てられています。
ここからです。
ここまでです。
津波浸水区間
仙台近くの三陸自動車道から見た海岸沿いの風景です。
震災直後の三陸自動車道から見た海岸側の様子です。ヘドロ、瓦礫でとても臭ってました。
三陸自動車道を使って南相馬から飯舘村を経由して帰路につきます。
これから飯舘村に入ります。
昨年と同様、荒れ果てた広大な水田が広がっています。
ビニールハウスも荒れています。
コンビニ跡。
ホームセンターも三年前のまま残されています。
閉鎖されたマクドナルドは見つける事が出来ませんでした。
未だ至るところで除染活動をしています。道路沿いにはボランティアの活動拠点もありました。
昨年、初めて来た時は住宅には皆カーテンが掛かっていて人気もなく、まさに廃墟と言う状態で怖ささえ感じました。
今年は朽ち始めている住宅もありましたが、少しずつ人が戻ってきていている様でした。
これからももっと復興の様子を伝えるために来年もまた来ます。