釋超空のうた (もと電子回路技術者による独断的感想)

文系とは無縁の、独断と偏見による感想と連想と迷想!!

及び釋超空のうたとは無縁の無駄話

54. 『山人の娘の 市にうられ来る・・・』

2011-09-29 13:51:23 | 釋超空の短歌
『 山人の娘の 市にうられ来る ともしき年も、過ぎにけらしも 』

***
私が持っている本を見ていたら、このうたに出合った。

このブログの9/20付けの記事

『50. 雇はれ来て、やがて死にゆく小むすめの命を見し。これの二階に 』

で書いたことと、掲題のうたが関連ありそうなので、ここに、このうた挙げた。

このうたの私の感想・妄想・迷想は、50.に書いたことと全く同じだが、

これらのうたが歌われた当時、現実に『娘売り』があったことが、掲題のうたから証明されたように思う。

それはともかくとして、掲題のうたの『ともしき年』とはどういう意味だろうか。

例によってネットで調べてみた。

すると、下記の注意書きがあった。
---------------------------------------
(注)「ともしき」という言葉は、
      [乏し・羨し]という形容詞です。

      ①めずらしくて心ひかれる
      ②うらやましい
      ③物事が満ち足りない状態である

      (広辞苑 第六版 岩波書店より)
-------------------------------------------
察するに、『ともしき年』とは、『③物事が満ち足りない状態である年』と解釈できそうに思える。 つまり『飢餓の年』ということだろう。

それゆえに、『娘が売られる』という状況が、『山間の僻地』では発生したのだろう。

今では想像できない状況が、ほんの何十年か前には現実にあったのだ。

日本は確かに豊かになった。それは物質的にだけさ、と片付けるのも尤もなことだが、

しかし、物質的豊かさの支えのない精神的豊かさ云々は、得てして机上の空論になりやすい。

事実、釋超空の、掲題のうたや50.のうたは、日本が物質的に貧しかったときの状況を踏まえな

ければ、そのうたの理解は、それこそ机上のものだけに終わるだろう。