『 山人の娘の 市にうられ来る ともしき年も、過ぎにけらしも 』
***
私が持っている本を見ていたら、このうたに出合った。
このブログの9/20付けの記事
『50. 雇はれ来て、やがて死にゆく小むすめの命を見し。これの二階に 』
で書いたことと、掲題のうたが関連ありそうなので、ここに、このうた挙げた。
このうたの私の感想・妄想・迷想は、50.に書いたことと全く同じだが、
これらのうたが歌われた当時、現実に『娘売り』があったことが、掲題のうたから証明されたように思う。
それはともかくとして、掲題のうたの『ともしき年』とはどういう意味だろうか。
例によってネットで調べてみた。
すると、下記の注意書きがあった。
---------------------------------------
(注)「ともしき」という言葉は、
[乏し・羨し]という形容詞です。
①めずらしくて心ひかれる
②うらやましい
③物事が満ち足りない状態である
(広辞苑 第六版 岩波書店より)
-------------------------------------------
察するに、『ともしき年』とは、『③物事が満ち足りない状態である年』と解釈できそうに思える。 つまり『飢餓の年』ということだろう。
それゆえに、『娘が売られる』という状況が、『山間の僻地』では発生したのだろう。
今では想像できない状況が、ほんの何十年か前には現実にあったのだ。
日本は確かに豊かになった。それは物質的にだけさ、と片付けるのも尤もなことだが、
しかし、物質的豊かさの支えのない精神的豊かさ云々は、得てして机上の空論になりやすい。
事実、釋超空の、掲題のうたや50.のうたは、日本が物質的に貧しかったときの状況を踏まえな
ければ、そのうたの理解は、それこそ机上のものだけに終わるだろう。
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私が持っている本を見ていたら、このうたに出合った。
このブログの9/20付けの記事
『50. 雇はれ来て、やがて死にゆく小むすめの命を見し。これの二階に 』
で書いたことと、掲題のうたが関連ありそうなので、ここに、このうた挙げた。
このうたの私の感想・妄想・迷想は、50.に書いたことと全く同じだが、
これらのうたが歌われた当時、現実に『娘売り』があったことが、掲題のうたから証明されたように思う。
それはともかくとして、掲題のうたの『ともしき年』とはどういう意味だろうか。
例によってネットで調べてみた。
すると、下記の注意書きがあった。
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(注)「ともしき」という言葉は、
[乏し・羨し]という形容詞です。
①めずらしくて心ひかれる
②うらやましい
③物事が満ち足りない状態である
(広辞苑 第六版 岩波書店より)
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察するに、『ともしき年』とは、『③物事が満ち足りない状態である年』と解釈できそうに思える。 つまり『飢餓の年』ということだろう。
それゆえに、『娘が売られる』という状況が、『山間の僻地』では発生したのだろう。
今では想像できない状況が、ほんの何十年か前には現実にあったのだ。
日本は確かに豊かになった。それは物質的にだけさ、と片付けるのも尤もなことだが、
しかし、物質的豊かさの支えのない精神的豊かさ云々は、得てして机上の空論になりやすい。
事実、釋超空の、掲題のうたや50.のうたは、日本が物質的に貧しかったときの状況を踏まえな
ければ、そのうたの理解は、それこそ机上のものだけに終わるだろう。