St. John of the Crossの生き方に憧れて

受洗後、最初に買ったカトリックの本が「愛への道」。相応しい生き方をしてない。彼に倣う生き方が出来るよう心がけたいです。

「詩と私論その7」(「onnna」「夕陽」)

2012-01-05 03:55:45 | Weblog






東日本大震災被災者の方々の為に祈ります。
 あわれみ深い神様、あなたはどんな時にも私たちから離れることなく、
喜びや悲しみを共にしてくださいます。
 今回の大震災によって苦しむ人々のために、あなたの助けと励ましを
与えてください。私たちもその人たちのために犠牲を捧げ、祈り続けます。
そして、一日も早く、安心して暮らせる日が来ますように。また、この震災
で亡くなられたすべての人々が、あなたのもとで安らかに憩うことができま
すように。主キリストによって。アーメン。
 母であるマリア様、どうか私たちの為にお祈りください。アーメン。
。。。
新しいロザリオの祈りで祈ります。
アヴェ、マリア、恵みに満ちた方、主はあなたとともにおられます。
あなたは女のうちで祝福され、ご胎内の御子イエスも祝福されています。
神の母聖マリア、私たち罪びとのために、今も、死を迎える時も、
お祈りください。アーメン。
。。。
明けましておめでとう御座います。
皆様にとりまして、良い年でありますように。
今年も宜しくお願いします。
。。。
「霊の賛歌」(十字架の聖ヨハネ;東京女子カルメル会;ドン・ボスコ)
P.317~
“第三十三の歌
私を おさげすみになりませんように。
私の色は浅黒かったとしても
今は、もうあなたは私を よくお眺めになれるのです。
まえに、もう私をお眺めになったのですから。
そして 愛らしさと美しさとを
私のうちにお残しになりましたから“
。。。
「聖霊がご自分のすまいとなさった愛に燃える霊魂に悟らせたもうことを、
だれがよく述べることができようか?」
(「緒言」から)
“円熟期の作品で、かれの傑作と呼ぶことができよう。”も同じく。
。。。
「霊魂と天の花むことの間にかわされる歌」は、40からなる。
今第33。
これまでの全文を同じ書から引用する。
何回かに分ける。
今回は第6~第9。
P.19~
“霊魂と天の花むことの間にかわされる歌
 ・・・
(花よめ)

ああたれが私をいやせようか!
どうか、もう真にあますところなく
 あなたをお渡してください
もうきょうからは私に使者を送らないでください。
 私がのぞむことを告げえないあの人たちを。

さまようすべての人々は、あなたについて
語ろうとする、百千の美を。
 けれど、かれらはますます私を傷つけるばかり。
 そして私を息も絶えるほどにすること、
  それは、私の知らぬ何かしらかれらの口ごもること。

どうして生きながらえていられるのか
おお私の生命よ、おまえの命のある
 ところに生きていないで。
あまえに放たれた矢は、おまえを死なすはずだった。
あまえにいだかせた愛するかたについての概念によって

かぜこの心をいやしてくださらない!
これを傷つけたのはあなたですのに。
 あなたはこれを盗み去られたのに。
なぜこのように捨てておかれるのです?
 なぜあなたは、盗んだものを、もって
ゆかれないのです?
。。。
P.318の「解説」より。
“彼女自身としては低い価値しかなく、何の尊敬にも価しないのであるが、
愛人からの賜物故に、尊敬されるに相応しい者になっている。“
“彼女をお眺めになったというだけでも、そうなさるために十分な理由が
ある。“
。。。
 今はもう、あなたは私をよくお眺めになれるのです。
 前にもう、私をお眺めになったのですから。

“最初にあなたの恵みを私にお注ぎくださって”
“私は今、眺められることが出来、それに相応しい”
“あなたの御眼差しから、益々多くの恵みを受けるに価する。”
。。。
 愛らしさと美しさとを私のうちに
 お残しになりましたから。

“聖ヨハネの言っているように「神は恵みに恵みを加えられる」”
“天の王が、ご自分の愛の最も深いところにまで私を導き入れる
程に、大きな恵みで私を満たして下さったのを見て、驚いてはな
らない。“
“彼は、私を最初にお眺めになって後は、幾たびとなく私の上に、
御眼差しを留められた。“
“そして遂に私をご自分を婚約され、その最も内密な臥床に私を
お導き入れになる迄は、ご満足なさらなかったのである。“
。。。
この稿未了。次回に続く。
。。。
。。。
8 onna

ひどくつまーんないと君
どうしたいのと僕
このマックイーンほしいの
ぼくのシトロエンで横須賀行こう
そんなんかったるーい
じゃあ原宿?
だっさーい
どこならいい
あんたかってきてよ
ギャルソンもウエストウッドもマクラーレンもよ

戻ってみると彼女は男の肩で眠っていた
僕に強請ったブランドをすべて横にして

その顔はとてもあどけなかった

16 暮れなんとする夕陽をカフェに溶かし入れそっと立ち去る無言の別れ
。。。
「十字架の聖ヨハネ」と同列するのは神経を疑われる行為ではある。
ブランドに疎い。
ファッション雑誌を適当に開き、適当にブランド名を拾って来る。
勿論、フィクションである。
「欲望の曖昧な対象」。
私はルイス・ブニエルの映画で初めて存在を知った。
ピエール・ルイスの小説。
。。。
「ひとりの女の肉体を遂に我が物と成し得ぬ話」
がブニエル自身のコメント。
「我々皆が知っており、この世界に生きる我々を包んでいる、加害と不安の
風土」を映画で作ろうとした。
(引用は「映画、わが自由の幻想」(早川書房)より)
。。。
一番印象に残る鉄柵のシーンから原作を引用。
(「欲望のあいまいな対象」(角川文庫)より)
“僕たちが帰ったその日に、僕はサン・イシドリオの聖堂の前になっている
ルセール街に、一つの屋敷を彼女の為に選んだ“
“どこの婚約者も、婚礼の日をこれ以上に熱心に待った者はあるまい。”
“彼女はなおも、ほほ笑みながら、ゆっくりと鉄柵に近づいた。
「私の手にキスをなさい」と彼女は僕に言った。
鉄柵はしまったままだった。“
“「これでいいわ。さあ、もうお帰んなさい」”
“「よく私を見てちょうだい。マテオ、どんなに私が嬉しいか、見てちょうだい」”
“「自由だわ!私は貴方から離れて自由になったのよ!」”
“「さあ、行っちまってよ。貴方にはわからないの?」”
“彼女は、まるで、勝利の叫び声のように叫んだ。「モレニート!」”
“その間、僕の口は、息が詰まった様に苦しかった”
・・・
“「どんな死に方を貴方がしてるかと思って来たのよ。私、貴方は
もっと私を愛していてくれたんだと思ってたわ。」“
“僕は彼女の顔のほうに振り向くと、やにわに彼女の頬を強く打った”
“「おゝ、マテオ、なんて貴方は私を愛しているんでしょう!」
初めて、彼女はまじめであった。“
。。。
結局、主人公は逃れる様にセビリアに一年の旅に出る。
その間に彼女は他の男と結婚していた。
“僕にとっては、生活は破壊されたままに、僕の途上に転がっている。
僕はもう彼女からは何物も期待しない。“
。。。
「彼は女の操り人形に過ぎない」-解説より。
。。。
この本に倦むと私は「火の娘」(ネルヴァル;新潮文庫)中の一編
「シルヴィ」を読む。
「八-ロワジイの踊り」から、
“夜が明け初めた。私達は手を取り合って、踊りを離れた。シルヴィ
の頭に挿した花は、解けた髪の中で首を傾けていた。胴衣に挟んだ
花束も、彼女のお手製の、皺くちゃになったレースの上に散りかかっ
ていた。私は彼女に従いて行こうと申し出た。もう月はすっかり昇っ
ていた。だが曇がちの天気だった。テーヴェ川は左手にざわめき、
曲り角には澱んだ水が逆流し、そこには黄色や白の睡蓮が花開き、雛
菊の様に、脆い泡の縁飾りが裂けていた。草原は乾草の束や堆で覆わ
れていた。その匂いは私の頭に上った。“
3人の少女が出てくる-シルヴィ・アドリエンヌ・オオレリイ。
ヴァロアの農村・修道院・劇場。
2作品の詳細は省く。実際読んで欲しい。その価値がある本。
。。。
何処からか一文字冒頭が開く。元に戻す。
先日言っていたマダルッコイ夕方の喫茶店の別れ。
短歌にしてしまいました。
読んでて奇妙に感じるのは、7-7-5-7-7の所為。
これを句跨りというなら何でもありって線の作品。
長野県の南端に住んでいて、“原宿ダサイ”とは言えまい。
生涯で10回に満たない回数しか行ってなくて、
うち半数は、日曜日の古着市。
(今もありますか?)
そう言えば、これを書いてて思い出したんだけど、
33年も前20才の時、
宣伝用の写真を撮ると言われ訪れたのが原宿のスタジオ。
木造平屋のスタジオはレトロ調で良かった。
もうプロダクションもなくなっちゃし、名前も思い浮かばないけど、
宣伝用アルバムに他の人に混ざって自分のを確認した時の感動って
忘れられない想い出。
。。。
最後迄聖ヨハネに反する内容。
貧しい内容をお詫び申し上げます。
。。。
何も聴かずに書きました。
写真は、名古屋駅周辺。
昨年末に短歌会館にコスモス名古屋支部で行った時のもの。
飯田は凍てつく。所謂滑。相当に寒い。
風邪が酷い。時々悪寒が。
宣伝用スチール写真の所為とも言える。
ボーとして書ける状態でない。
。。。
新しい一日が皆さんにとって良い日でありますよう、
お祈り申し上げつつ。
また、この小文が皆様の何らかの糧となりますよう。

主のお恵みが皆さんに豊かに御座いますよう、
主イエスキリストの御名によってお願い申し上げつつ。
主への賛美と感謝とともに。

2012.1.5. 乗倉 寿明 記す