へそ曲がり人間の退屈な日々

独断と偏見で好き勝手に気が付いた事や言いたい事を綴る気ままな日記。

カメラの世代交代

2006-05-26 | その他
今日の朝刊記事の一面の記事内容である。
キャノンの社長が記者会見で
フィルムカメラの新規開発はしない方針を
明らかにしたとのこと。
市場はすでにデジタル主体に動いており
一部のマニア層を除くとニーズは少なく
新規開発のメリットは見出せないとの判断のようだ。
ニコンも今年からフィルムカメラからの撤退を
発表しているし、コノカミノルタも同様の動きなので
あと残っているのは富士フィルムとオリンパスだけか。
かつてモノクロからフルカラーへと変わり
一眼レフからバカチョンカメラ?まで
日本人の象徴とまで考えられた時代もあったが、
レコードやテープレコーダーが
CDやDVDに変わったのと同様に
全てはアナログからデジタルへ移行しようとしている。
時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、
何か寂しい気持ちになる。
自分も写真はあまり撮られるのは好きじゃなかったが、
それでも旅行や記念行事の時などには
無理やり仲間に誘われて撮ったものではあるが
いまや携帯電話もカメラ付属が当たり前になった。
それも2メガとか3メガピクセルの高画質である。
その上現像も不要でプリンターに繋げば
即何枚でも印刷可能で加工も自在な訳だから、
わざわざカメラ屋さんまで持ち込む必要も無い。
便利といえば便利だが
逆に後から手を加えるとどんな加工も出来てしまうので
虚構の世界と見分けも付かない危険もある。
芸術としては問題ないかも知れないが
真実を写しているかと言うと甚だ疑問が残るのだが。
古い人間にはどうしてもアナログな物に生物の温もりを感じ
デジタルな物にはどこか金属的な冷たさを感じる。
アナログには自然的な柔らかさを感じるし
デジタルは正確だが画一的な硬さを感じる。
仕事でも遊びでも一息つけるゆとりは必要であろう。
写真も正確さや綺麗さも必要かもしれないが
真実の中の暖かさも写し取れるような
そんな優しさを感じさせるような
人々に喜びを与えてくれる存在であって欲しい。
余談になるが自分は小さい頃
カメラという言葉が何故か嫌いであった。
写真を撮る機械だから写真機でいいではないか。
そう思っていた。
しかし大人になってからは
写真は全てが真実を伝えている訳ではないと
そう考えるようになった。
静物なら確かに自然のままだろう。
しかし動いている物は
写真ではその一瞬の断片でしかない。
映画のフィルムを一画面だけ切り取っても
細かい情報は見えないのと同じである。
だからプロのカメラマンは
一瞬の中に全てを写し込む事に命を賭ける。
静止した中に次の行動を暗示させる。
それがプロのカメラマンの使命であろう。
だから写真屋よりカメラマンという方が
よりプロフェッショナルな職業と
考えるように変わっていた。
あくまで自分の勝手な思い込みだけであるが。