へそ曲がり人間の退屈な日々

独断と偏見で好き勝手に気が付いた事や言いたい事を綴る気ままな日記。

議論と討論の違い

2015-04-18 | 日記
日本人にはどうも苦手な問題に思うが

ずっと前、プロジェクト活動をしていた時に

会議の進行上でよく言われた事がある。

目的を達成する為の手段や手法について

賛成か反対か表明する時に

反対の場合は必ずその代案を提示しなければならないと。

つまり代案無き反対は賛成と見做されるのである。

会議の進行を迅速に行う為の方法だったが

これで多少の不満が有っても反論が出来ない事が多く

逆に後から問題が続出して多大な修正が必要になった。

実行する前にそれが現実に可能かどうかを

検証出来なければ計画は絵にかいた餅でしかない。

その為に充分な討論が必要なのだが

日本人は国会議員に至るまでこれが全く出来ない。

因みに議論はディスカッションで討論はディベートと言うが

議論は出来ても討論が出来ないから

与党案に何でもただ反対や批判ばかりの野党や評論家しかいない。

憲法改正にしても原発再稼働にしても同じことだろう。

平和や安全を守るには反対のデモさえやれば

それだけで全てが解決するのだろうか。

国民全てが満足出来る政策など有りえないし

誰かが何処かで少しだけ我慢を強いられるのだ。

それを如何に最小限に抑えるかの問題なのだから。

せめて報道メディアには公正な議論と討論の姿勢を

視聴者にもしっかりと見せる必要があるだろう。

政府が権力者側だからと言う事で

それに反論するだけが正義と勘違いしていないだろうか。

少年事件の被害者と加害者の人権問題も同様である。

悪法も法とは言うが決めるのは所詮人間である。

時代が変われば法も変えるのが自然だろう。