へそ曲がり人間の退屈な日々

独断と偏見で好き勝手に気が付いた事や言いたい事を綴る気ままな日記。

オウム真理教教祖の裁判に思う

2006-03-28 | その他
日本という国はどうしてこうも犯罪者に甘いのかと思う。
加害者と被害者がある場合において、
優先的に保護されるのはいつでも加害者である。
しかも裁判にかける期間が限りなく長い。
日本人はまた凶悪事件を忘れる事も早いときている。
被害にあった当事者以外は半年もすれば記憶の彼方である。
この裁判にしても始まってからもう十年である。
一審の死刑判決からでも二年過ぎている。
集団で起こした事件をわざわざ一人ずつやるからいけない。
しかも首謀者が最後とくる。
このまま確定したところで実際の執行は何時になるやら。
刑務所は格好の別荘である。
しかも当人は一円も出さなくて良い。
すべて国民の税金で賄う事になっている?
医療費の心配も全く無いのだから、無我の境地で
痴呆でもよそおって弁護士に一任していれば
本人はさぞかし極楽気分ではないか。
こんな司法のやり方を変えようという動きも
あるようではあるが、何ともはっきりしない。
例の陪審員制度とかであるが
どうも日本人は自分の意思で人を裁くのは
出来る限り避けたいようである。
と言うよりは逆恨みを恐れたり
自分に関係の無い事でいやな想いをしたくない
と言うのが本音だとは思うが。
テレビの時代劇で「大岡越前」や「遠山の金さん」に
拍手喝采などはしてみても
自分が正義の味方になる気はさらさら無いのである。
いっそ被害者ばかりの集団から
裁判官と弁護士を選出してはどうだろうか。
江戸時代のあだ討ち制度の方が
よほど理に適っていると言うと
世間の目は野蛮過ぎると怒るかもしれないが。








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