心の花束

つれづれなるままに心の中に花束を持ちたい

思考回路

2012-01-14 | 介護

102歳が元気を無くしています。
彼女は年末年始の間に食欲を無くし急激に弱っています。
週3回の傾聴の際は特に変化は見られないのですが・・・。
気になって、ディケアの朝の送り出しを手伝うことにしました。
「なぜ、こんなにお尻・腰の骨が痛いのかしら」と嘆きます。
「食事をしない為に痩せたからですよ」と食事を薦めると食べてくれるのですが
ディケァでは2割ほどしか食べないそうです。
痛いのと思うように動けないことに「何の罰が当たったのか」と呟きます。
そして「嫁の悪口を言ったからか」なんて・・・。
この辺になると可哀想になってきます。
102歳は決して人のせいにはされません。
常に自分が悪いことをしたのかと問います。
「正直の頭に神宿る」を信条とされているのですが、思い込みも強いです。
「私は正しく生きてきたのに・・何故?」と続くのでしょう。

彼女が天に召されるまでにお嫁さんとの関係が修復できるように
私に出来ることは何かと心を巡らせます。
私自身も姑と暮らした経験があります。
姑の最後の言葉が「ありがとう」でした。それですべてが報われ
この姑のような死を迎えたい 私の理想です。
ですから、今、関わっているこのご家族にも是非そうあって欲しいと心を砕いているのですが。
お嫁さんには随時様子を報告して帰ります。しかし、それは規律違反になります。

私は《世の仕組みを知らない》変わり者のようで・・・。

コメント (6)
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