映画”ロクヨン 前編”を鑑賞して気づきました。
警察組織として、不祥事を隠蔽することが映画の題材の一つになっています。
これは映画に特化した話でもなければ、警察という組織に特化した話でもありません。
一時期、一気に露呈した食品会社の偽装。
マンションの杭打ちデータや液状化対策への偽装。
企業の経営状態に関する偽装(粉飾?)も発生している現代日本。
もはや対岸の火事ではないと考える方が自然でしょう!
一流と呼ばれるような会社が起こす数々の不祥事は、個人レベルではおかしいと感じていることばかり。
個人レベルでおかしいことが、組織レベルになると、正当化する圧力が大きくなるのはなぜなのか?!
これが”集団の極性化”の一貫なのかもしれないですね。
裸の王様を生み出さないためにも、おかしいと感じたことを素直に”おかしい”と発言できる強さを失いたくないですね。
おかしい!という発言を飲み込むことで、他の大事なことを失っていることに気づける感性を失わないように気をつけます。
本日も最後まで読んで下さり、有難うございます。
警察組織として、不祥事を隠蔽することが映画の題材の一つになっています。
これは映画に特化した話でもなければ、警察という組織に特化した話でもありません。
一時期、一気に露呈した食品会社の偽装。
マンションの杭打ちデータや液状化対策への偽装。
企業の経営状態に関する偽装(粉飾?)も発生している現代日本。
もはや対岸の火事ではないと考える方が自然でしょう!
一流と呼ばれるような会社が起こす数々の不祥事は、個人レベルではおかしいと感じていることばかり。
個人レベルでおかしいことが、組織レベルになると、正当化する圧力が大きくなるのはなぜなのか?!
これが”集団の極性化”の一貫なのかもしれないですね。
裸の王様を生み出さないためにも、おかしいと感じたことを素直に”おかしい”と発言できる強さを失いたくないですね。
おかしい!という発言を飲み込むことで、他の大事なことを失っていることに気づける感性を失わないように気をつけます。
本日も最後まで読んで下さり、有難うございます。