
2月9日月次祭準備
朝一番、築地へ献饌物の買い出し

いつもの八百屋さんですが、いつまで通えるのでしょうか?
最近、築地も豊洲への移転の雰囲気があちらコチラに見え隠れしています。
鮮魚、青果問わず閉店している店が増えてきたように見えます。
場外では、移転後も現在地の盛り上がりを継続しようと、さまざまな試みが行われています。
30年来通っている海苔の老舗問屋 『鳩屋』では、海苔の他にもさまざまな商品を取りそろえていました。
また、昔からのなじみの店が、撤退を選択する寂しさもあります。
帰ってきて、調饌。

部内の会長さん、布教所長さんがつとめて下さいました。
いつも変わらず、ありがとうございます。
上級教会からの配布物の中に、 北越分教会120周年記念祭 のポスターが入っていました。

兄弟教会である甲越分教会の会長、中村邦彦先生のデザインです。
おそらくレーザープリンターで出力したであろう手作り感いっぱいのポスターですが、だんだんと雰囲気が高まってまいりました。
さて、調饌後、昼食をいただいていると家内から3男が、天理教校学園高校に合格したとの知らせを聞きました。
今時は、インターネットにて合格発表をして下さいますので、本当に便利になりました。
嬉しいのでスクリーンショットを小さめに貼っておきます。

クリックしていただけば拡大されます。
東日本大震災から、まもなく4年が過ぎようとしています。
しかし被災地はまだまだ、復興したとはいえません。
最近、教会の信者さんが、工事が止まっていた常磐道の工事現場に出張されています。
現地の様子を伺うと、とにかく放射線の量を『これでもかっ』という位計るそうです。
元請けは、作業にあたる皆さんの健康管理に、とても神経を使って下さっているとか。
そんな、現地のお話を伺いながら、あの年のことを思い起こしていました。
何度目かの復興ひのきしんに伺った時、その日の作業は津波で運ばれた泥の撤去作業でした。
1階部分の床に水が上がっていますので、庭などは見事に埋め尽くされていました。
そんな、泥を少しずつスコップと一輪車で運び出しダンプに積んで、仮置き場に運ぶ。そういう作業を繰り返し続けます。
片付けに来られる住民の方とも仲良くなり、話をすることもあります。その住民の皆さんは当時避難所に身を寄せていらっしゃいました。
その日、1件のお宅の作業が終わり、翌日は別の町内に作業場所が移りました。
翌日になってダンプの運転をしていたのですが、慣れない道の為、前日の町内に迷い込んでしまいました。
前日のお宅の前を通るとそこには、そのお宅の方々が側溝に流れ込んだ泥を掘り出していました。
私を見つけると、「掘り出した泥はどこへ運べば良いのか」と聞かれました。
もちろん、私の運転していたダンプに積み込んでもらい運びました。
話を聞けば、他所からきて泥を運び出してもらい、家がきれいになって元気が出た。自分たちも何かをしようと思った。と、話していらっしゃいました。
ああ、そういうふうに思って下さっているのだと思うと私も力が出てきました。
忘れてはいけないことですが、昨年は1度も足を運びませんでした。
そんな風に、お役に立てることがあるならば、また。と、改めて思います。