とよきのかいちょうぶろぐ

てんりきょうとよきぶんきょうかい々ちょうの日々をのこしておこうかな・・・っと。

令和4年2月7日 神様が喜ぶんじやないかな。

2022-02-07 21:45:43 | 日記


本日は、部内教会の月次祭を参拝させていただきました。
部内の会長さんは、餅を丸めるのが上手で、今月の鏡餅もきれいに出来ていました。
私の親は、月次祭のお供え物、特に鏡餅にとてもこだわっていました。
若い頃、お供え物を思うように用意できないなら、とにかく、お餅をつかしてもらいなさいと言われました。何はなくとも…な感じです。
何故なら…とか、…だから、という話は聞いたことありませんが、とにかくこだわりがあったみたいです。

最近になって考えてみると、餅をつくことを通して、「手間」をかけることに重きをおいていたんじゃないかと思うんです。
当教会の場合、餅つきはすごく手間をかけます。
例えば、餅の形を整えて冷やすために風を当てますが、そこは団扇を使います。
扇風機なら、手軽だし、均一に冷やすことが出来るのですが、何人もの人が、ぐるりと餅を囲んで息を合わせてパタパタやるのです。
何とも、非合理的で無駄だらけな様子ですが、毎月々々パタパタやります。
私は、この手間を神様が喜んで下さるんじゃないかと思っています。

天理教に限らず、ほとんどの神事は、やたらと手間がかかったり、意味がわからなかったり、非効率的であったりして、誰がこんな事決めたのか?
なんて思ったりしますが、決めたり考えた人は、きっと「こういう手順なら、神様に喜んでいただけるんじゃないかな」と想像して手間をかけたんじゃないかと思うんです。

時代と合わないと言えばそれまでで、そうしなければならないのか?と聞かれれば、そんな事はないのですが、
それでも、「神様が喜ぶんじゃないかな」という基準を、大切にしたいのです。