今日はあいにくの雨。
地元に茂山さんの狂言会が行われました。
毎年この季節にいつも来られるので熱心なファンの方もいらっしゃってかなり並んでらっしゃいました。
一度観るとまた行きたくなる、それぐらい茂山さんの狂言は楽しいのです。
半数ぐらいが初めて見に来られた方なので、狂言とはと解説から始まります。
狂言とは室町時代の今でいうところの新喜劇ともいわれております。
昔は外で演じていたので舞台のセットなどなく、小道具も扇などごくわずか、でもそこにあるように見せる「つもり」なのだと。
ユーモアたっぷりにわかりやすく解説してくださるのも茂山家ならでは。
曲目は「縄綯」と「御茶の水」
どんな曲目かといいますと「縄綯」は博打に大負けした主が借金のかたに太郎冠者(自分の家の家来といいますか)を取られてしまいます。
何も知らず借金をした相手の家に向かい自分が借金のかたになったのだと知った太郎冠者は怒ってお使いに行ってくれと言われると脚気だから歩けないと言い、縄を綯えと言われると縄など綯えないと仕事をせずストライキをおこします。
主に文句を言いに行った貸した相手に一度自分のところに戻して太郎冠者の働きぶりを観てほしいといいます。
家に帰れた太郎冠者は喜んでせっせと縄を綯います。
縄を綯いながら連れて行かれたお金を借りた相手の家の悪口を言います。
それを面白おかしく語るところが面白いのです。
それを借りた相手が聞いてしまい怒られるという。
その話の間が面白いのです。
太郎冠者役の茂山千五郎さんが今年の流行の、じぇ、じぇ、じぇ!!!と倍返しだ~~!!とアドリブ入れて場内爆笑。
古典だけれど堅苦しくないところがいいところなのです。
「御茶の水」は寺の住持(住職)に新発意(小僧さん)に山にお茶会につかうお水を汲んでくるように命じますがあ~だこ~だと理由をつけて行きません。
代わりに門前の娘(いちゃ)に汲みに行かせたらよいと言います。
住持はいちゃに水汲みを頼みますが、水くみに暗い山の奥に入っていくので心細いのか小謡を謡いながら歩いていきます。
それがいちゃに好意をもっていて二人っきりになりたい新発意の計略だったのです。
お互いの思いを謡にのせて楽しんでいるところに住持がやってきて怒ります。
新発意も怒られっぱなしではなく、やりかえして取っ組み合いになります。
どちらの味方をすればいいのかおろおろするいちゃ。
どちらの味方をしたのでしょうか。^^
謡いのところはマイクなど音響もなしでホールの端まで声が響きます。
これも毎日大変な稽古をするからこそできるものだと思います。
室町時代にできたものですが、テーマが家庭内のことや仕事の失敗談など今の時代でも通じる身近なものなのでセリフが昔の言葉づかいですが、なんとなくわかります。
もし皆様のお近くで狂言会などありましたら一度観て頂けたらいいなと思います。
地元に茂山さんの狂言会が行われました。
毎年この季節にいつも来られるので熱心なファンの方もいらっしゃってかなり並んでらっしゃいました。
一度観るとまた行きたくなる、それぐらい茂山さんの狂言は楽しいのです。
半数ぐらいが初めて見に来られた方なので、狂言とはと解説から始まります。
狂言とは室町時代の今でいうところの新喜劇ともいわれております。
昔は外で演じていたので舞台のセットなどなく、小道具も扇などごくわずか、でもそこにあるように見せる「つもり」なのだと。
ユーモアたっぷりにわかりやすく解説してくださるのも茂山家ならでは。
曲目は「縄綯」と「御茶の水」
どんな曲目かといいますと「縄綯」は博打に大負けした主が借金のかたに太郎冠者(自分の家の家来といいますか)を取られてしまいます。
何も知らず借金をした相手の家に向かい自分が借金のかたになったのだと知った太郎冠者は怒ってお使いに行ってくれと言われると脚気だから歩けないと言い、縄を綯えと言われると縄など綯えないと仕事をせずストライキをおこします。
主に文句を言いに行った貸した相手に一度自分のところに戻して太郎冠者の働きぶりを観てほしいといいます。
家に帰れた太郎冠者は喜んでせっせと縄を綯います。
縄を綯いながら連れて行かれたお金を借りた相手の家の悪口を言います。
それを面白おかしく語るところが面白いのです。
それを借りた相手が聞いてしまい怒られるという。
その話の間が面白いのです。
太郎冠者役の茂山千五郎さんが今年の流行の、じぇ、じぇ、じぇ!!!と倍返しだ~~!!とアドリブ入れて場内爆笑。
古典だけれど堅苦しくないところがいいところなのです。
「御茶の水」は寺の住持(住職)に新発意(小僧さん)に山にお茶会につかうお水を汲んでくるように命じますがあ~だこ~だと理由をつけて行きません。
代わりに門前の娘(いちゃ)に汲みに行かせたらよいと言います。
住持はいちゃに水汲みを頼みますが、水くみに暗い山の奥に入っていくので心細いのか小謡を謡いながら歩いていきます。
それがいちゃに好意をもっていて二人っきりになりたい新発意の計略だったのです。
お互いの思いを謡にのせて楽しんでいるところに住持がやってきて怒ります。
新発意も怒られっぱなしではなく、やりかえして取っ組み合いになります。
どちらの味方をすればいいのかおろおろするいちゃ。
どちらの味方をしたのでしょうか。^^
謡いのところはマイクなど音響もなしでホールの端まで声が響きます。
これも毎日大変な稽古をするからこそできるものだと思います。
室町時代にできたものですが、テーマが家庭内のことや仕事の失敗談など今の時代でも通じる身近なものなのでセリフが昔の言葉づかいですが、なんとなくわかります。
もし皆様のお近くで狂言会などありましたら一度観て頂けたらいいなと思います。
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