幸福で満ち足りた日々を送っていた時は、外的な変化がなく同じリズムで、でも内的には変化していました。
静の中から生まれる動 より
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内面的に充実して満たされた日々を送っていた時期は、変化のない静かで平穏な日々でした。
外的には変化がなく、内的には変化をしていました。内なる饒舌は、外なる静けさが支えます。
引っ越さないといけなくなって、静寂が壊されて、哀しかったです。
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足ることを知る生活ーー恩恵を知って享受する生活ーーの中に幸福があると感じて来ました。
けれど、世の中には外的刺激への扇動で溢れ返っていて、それは誰かの利益に繋がっています。
成長、発展などと人類普遍の目標であるかのように言うけれど、私は作為的な発展などしなくていいと
思っています。作為的な発展にいそしむほどに、進歩まで遠回りになると思います。
モダニズム、ポストモダニズム、シュルレアリズムが好きじゃないのは理性による傲慢さを感じるから。
「既成概念をぶっ壊した」と言いたげにドヤ顔で知性ぶってるのが嫌いです。私が感銘をうける芸術は、
人間の薄っぺらな理性よりずっと深遠で説明できないものーーそしてそれは静かでけっして声高ではない
ものーーに注目してそれを表現しようとしているものです。
「既成概念をぶっ壊し」た建築や絵画を提示してきても、「で?」という その先にあるものが
見当たらないなら、ただ奇を衒って人をあっと言わせてドヤってるだけ。
利権と結びついて、寵児、スターとして担ぎ上げられたりするけれど、中身はない。
そういうのを芸術というのは傲慢だと私は思います。屁理屈を形にしただけだから。
オリンピックのメッセージとか(パラリンピックが嫌い)、偉大なことをして名を馳せるとか
夢は大きくみたいなメッセージとか もっと高く、もっと速く、もっと小さく、新しくなった
といった技術競争とか、足ることを知らない「もっともっと」という扇動が溢れ返っていて、疲れます。
だから、私はこのブログで、そういうのの逆のメッセージを発信しています。
粗い方がいい MDの音 刺激教 刺激教② 不便が便利に勝利する② 原理が単純な手動形 90歳でも背骨が強いお婆ちゃん ついていくべき変化なのか ラガード 不便が便利に勝利する 認知的不協和② 貧しさの中の幸福
要らないことを発見したり、「劣っている」方がいいことを発見したりするのが好きです。
私は「劣っている」ものを弁護するために、私の感受性やもちうる表現力や知識をめいっぱいに使います。
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「劣っていて」その素晴らしさが鋭く光っていた人が、なにかの利権と結びついて勝ち組になった途端に
全くその才能がだめになる例もあまたあります。私はこのことを、よく考えます。
どうして、人は社会的に「成功」したら急にその素晴らしい才能がつまらないものになってしまうのか。
雑な線を走らせてあんなにキレッキレの才能が光っていたのに、「成功」して面白くもなんともない
作品を世に出すようになってしまうのか。
反権力のはずが、自分の権力(しょぼい権力)にしがみついて醜悪さを垂れ流し続けるのか
お前はとっくに腐っている と心の中で思っています。
私の大好きな人はみんなそんな風にはならない人達で、 建築家のおじちゃんもこの人もそうです。
一流の人達です。