人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

ルーツ

2016年06月24日 | 日記

昔、「ルーツ」というアメリカの

ドキュメンタリーふうのテレビドラマが

評判になってました。

ひとは何百年も前の

だれかとだれかの婚姻によって

今、生きてるわけですよね。

人によっては何百年昔まで

ご先祖が遡れる場合もあれば

ひいじいさんまで、という人もいます。

私の場合は南北朝までです。

ときどき思うのですが

ひいじいさんより以前

というより、ずっと大昔の

自分の先祖はどこで何をしていたのか

わかったらそりゃ楽しいのではと。

というより、まったく遡れないのは

とても寂しいことじゃないかな

って。たとえばはるかな昔に

先祖は高句麗から来た、なんてのも

いいなあと思います。

ルーツを知ることは自分を豊かに

してくれると思います。

自分が長い家の歴史の隅っこに

ちゃんと存在しているんだなって

そしてそれはだれも知らなくても

自分のささやかなささやかな

アイデンティティであったりします。

私の先祖が室町のころ

一色氏に仕えた水軍だったことは

そしていまもその城跡が

日本海を眼下に見下ろす山の上に

あるってことは

なぜか私を楽しませ

安心させます

あの世に旅立ったら

ご先祖に会えるかもしれないのですから。

だから子どもたちには

なにかしら家の歴史を

知っているかぎり

伝えておきたいものですが

さて、興味を持つ子がいれば

幸いです・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


妹の死

2016年06月23日 | 日記

長い闘病生活

長い入院、点滴もままならぬ

重篤になって

妹が亡くなりました、

早くに夫を亡くし

3人の子供を育て上げ

たくましく生きた壮絶な人生

敗戦前後の子供の時から

苦労を背負って生きたのに

生涯明るく、周りを照らしながら

生ききった妹の死です。

姉は言いました

「解放されたのよ」と。

確かに死はひとつの解放でした。

妹の娘たちも泣いてはいるけれど

毎日の介護から解放されたのです。

そう考えると

お祝いさえしてあげたいくらい。

昔、どこかの地方で

死者がでるとお赤飯を炊いたらしいです

これは死を解放として祝ってあげたのでしょうか。

では私も

解放の日をゆったりと迎えることにしましょう。


百合もいろいろ

2016年06月22日 | 日記

百合の花が大好きで

いろいろ植えてみたのです

気がつきました

みなさん上手に育てていらっしゃいますが

わが家の庭では異変が・・・

カサブランカのような

大型の豪華な百合は

花が開くころにぼろぼろに

やられてしまい

虫食いだらけの惨めな姿

なのに

笹百合とか、か弱そうなのは

ちゃんと咲いてくれるのです

うちには「豪華」は似合わないのねと

ひがんでみたり

しましたが

どうして豪華な大きな百合は

難しいのでしょう

そして「完成」しないのでしょう

あ、うちだけの話ですが・・・

豪華な百合はアメリカやChinaかしら。

笹百合は日本かしら・・・?

じゃあないですね

日本も「豪華な百合」かも

そして「小さな幸せ」にも至らず

挫折してしまうのかしら。

なんて思いつつ

無残な姿のカサブランカの幹を折りました。


シュウカイドウ

2016年06月21日 | 読書

明日死ぬとわかっていても

「木を植える」男の物語を

読んだような記憶・・・

庭の片隅に私はシュウカイドウを

植えました。

そう、明日、死ぬかもしれないのに。

かわいい花です、

いかにも日本独特の花のように

ーーほんとはマレーシアあたりの原産ーー

片隅でひっそりと

でもつつましい赤い花びらは

ちゃんと見事な存在感。

なんと花言葉は

片思い・親切・丁寧・可憐な人・繊細・恋の悩み・未熟

といっぱいあるようですが、

「可憐な欲望」という

不思議なのもあって

私はこれが一番お気に入りです。

だって、「可憐な」「欲望」ですよ!

小さくて目立たなくて

弱い存在のように見えていて

実は「欲望」を隠しているのです、

なんの欲望でしょう?

もちろん「生きる」こと

願わくば「たくましく生きること」

ではないでしょうか。

敗戦前後、何一つ満足なものが

得られなかった時代の日本人は

可憐な欲望に満ち満ちていて

復活を遂げました。

今、私は持ち得るものをすべて

持ってしまいました、

スイッチでなんでも叶えられる時代

もはや「欲望」がしぼんでしまいました。

テレビで見る貧困国の子供たちが

なぜあんなに生き生きとしているのか

わかるような気がします。

庭の片隅にシュウカイドウを植えながら

私に再び「可憐な欲望」が

もどればいいなと

思ったのでした。

 

 


廃校という建物

2016年06月20日 | 日記

全国各地に建っている

廃校という名の建物は

もったいないの極みですね。

夢なんですけどこの建物

すべてを

老人施設に解放するという

法律でも作ったらなんて。

東京の待機老人が

例えば山梨県の廃校に

ならば二時間ちょっとで

行けるでしょうし

地域の雇用にもつながるし

第一、幽霊のように建っている

けっこう立派な建物が

利用されないなんて

もったいないではありませんか?

いえ、田舎ばかりか

ちょっとした町のなかにも

廃校という名の

建物が・・・

莫大な予算をつぎこんでも

いいじゃありませんか

廃校という建物が

息を吹き返すなら。

そしてその地域だって

少しは「人の行き来」が

あるってことは

いいことなんじゃないでしょうか?