日々の美学を求めて

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(粋と張りを本領とし計らって活きる)

富士山への準備③

2011年07月16日 | アウトドア
富士山への準備③

浅間山山頂へ!到着!
浅間山は
多摩の台地が古多摩川や他の河川で削られ、小高い丘として残ったもので、堂山(標高80m)、中山、前山の3つの頂をもっています。
そして 浅間山には、浅間神社、水手洗(みたらし)神社、人見四郎の墓跡があります。
浅間神社は、全国にも見られる富士講です、この場所の「地主神」でもあるお社「おみたらし神社」が浅間山の裏手麓にありました。
そしてここは水の神様 彌都波能売神(ミズハノメノカミ)
をお祭りしていました。
そして、石碑には「浅間神このところより出現す」と、ありました。

標高約80m、ルナは山頂でへとへとになっていました、
帰りが歩くか心配でしたが、頑張って下山をしました。
(途中で疲れると歩かなくなりだっこするときがたまに有ります)








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今日は晩夏 小暑 次候 蓮始開(はすはじめてひらく)

2011年07月16日 | 四季
今日は晩夏 小暑 次候 蓮始開(はすはじめてひらく)

小暑(しょうしょ)
7月7日頃
すでに日は短くなり始めるいっぽうで、
暑さはこれからが本番です。
小暑と次の大暑(7月23日頃から8月7日頃)までの
間を暑気と呼び、暑中見舞いを出すのもこの期間です。

蓮始開(はすはじめてひらく)
7月12日頃から16日頃。
深夜二時過ぎ、闇の中でひっそりと蓮の花が開き始めます。
水面からすっくと花茎を伸ばし、ゆっくりつぼみをほどいていく様は
見る者を幽玄の世界にいざなうかのようです。
花が完全に開くのは明け方で昼過ぎには閉じてしまいます。
これを3日繰り返し、4日目、花びらは再び閉じることなく散っていきます。
涼気が残る夏の朝、極楽浄土の風景に触れてみては。


泳ぎけり非情の水を好しとして      相生垣瓜人

旬の魚は鮑です。



アワビ(鮑、鰒、蚫、)は、ミミガイ科の巻貝の総称。
雌雄の判別は外見からではほぼ不可能で、肝ではなく生殖腺の色で見分ける。
生殖腺が緑のものがメスで、白っぽいものがオスである。
アワビは高級食材で、コリコリした歯ざわりが特徴。刺身、水貝、酒蒸し、ステーキ、
粥などに調理される。取れたての生きの良いアワビを磯焼きにして賞味する地方もある。
また地方によっては、アワビの肝も珍味として食べられる。
これらで最も高価なアワビはクロアワビと言われています。

旬の魚は鱸です。



スズキ(鱸)は、スズキ目・スズキ亜目・スズキ科に属する魚。
海岸近くや河川に生息する大型の肉食魚で、食用や釣りの対象魚として人気がある。
成長につれて呼び名が変わる出世魚である。一般的に高級魚と思われがちだが、値段は比較的安い。
身は血合いがほとんどない白身で、「スズキ」という和名が「すすぎ洗いしたようなきれいな身」
に由来するとする説もあるほど。身の質はタイに似て、柔らかくて癖もなくあっさりしている。
関東よりも関西でよく食べられる。 産卵期である冬に、内湾に産卵回遊した大型のスズキが
多獲されて多く市場に出回り、そのためにスズキの旬が冬とされることがあるが、
この時期には生殖腺に栄養が多く要求されるために体は痩せて肉質は非常に悪い。
スズキの肉質がよくなるのは夏で、夏のスズキはよく太って非常に美味である。
旬の定義をその魚が最もおいしい時期とするならば、スズキの旬は夏であるようです。

旬の野菜は大蒜です。



ニンニク(蒜、大蒜、葫)とは、ネギ科の多年草で、球根(鱗茎)を香辛料として用いる。
ガーリック(英語 garlic)とも呼ばれる。
中国料理では、球根のみならず葉(葉ニンニク)や茎(いわゆる「ニンニクの芽」)
も香味野菜として利用される。その他イタリア料理、フランス料理、韓国料理など、
さまざまな料理に用いられます。

日本語って綺麗で良いですよね!好きです!



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富士山への準備②

2011年07月16日 | アウトドア
富士山への準備②

自宅の近くに有る、浅間山へルナとともに
靴慣らしをかねて散歩へ。

府中浅間山はこんなところです。
浅間山はせんげんやまは標高80メートルほどの小高い丘で、丘の頂からは府中市一帯や富士山を望むことができ、関東の富士見百景にも選ばれています。緩やかなゆるやかな斜面はクヌギやナラなどの雑木林となっており、5月の中旬頃には、この山を唯一の自生地とするムサシノキスゲの黄色い花を見ることができます。
この辺り一帯は、かつては人見原ひとみがはらと呼ばれる荒野で、南北朝なんぼくちょう時代の正平7年(1352年)、
北朝方ほくちょうがたの足利尊氏あしかがたかうじと南朝方の新田義興・義宗にったよしおき・よしむね兄弟が戦った古戦場跡です。








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