福島紀行 会津飯森山 さざえ堂
ここは
その名のとおり巻貝のような形をした木造の六角塔で、飯盛山の中腹に会津若松市街地を見渡す形で立っている。
らせん状の堂内をぐるぐる回って参拝することから名前が由来する「さざえ堂」だが、この仏堂形式が登場したのは安永9(1780)年、江戸本所にあった黄檗宗(おうばくしゅう)「羅漢寺」が最初である。当時流行した百観音巡礼が困難な庶民のために「お参りすれば札所の百観音を拝んだのと同じ功徳がある」というさざえ堂が登場し、人々は簡単に手に入る御利益と不思議な3階建の建物に上れるという「楽しみ」を求めて殺到。その後さざえ堂は全国に広がっていったのである。これは純粋な宗教儀礼であった参拝自体が、娯楽化していった過程を象徴する出来事として注目される。
そんな中、寛政8(1796)年、会津のさざえ堂が建てられた。内部の通路が二重らせん状になっていて、上りと下りの2つの通路がメビウスの輪のように表裏一体に合わさっている複雑かつトリッキーな立体迷宮。しかしこのような二重らせんによる参拝路を備えたさざえ堂はほかにない。
こんな解説でした。
本当に不思議な建物です。
ここは
その名のとおり巻貝のような形をした木造の六角塔で、飯盛山の中腹に会津若松市街地を見渡す形で立っている。
らせん状の堂内をぐるぐる回って参拝することから名前が由来する「さざえ堂」だが、この仏堂形式が登場したのは安永9(1780)年、江戸本所にあった黄檗宗(おうばくしゅう)「羅漢寺」が最初である。当時流行した百観音巡礼が困難な庶民のために「お参りすれば札所の百観音を拝んだのと同じ功徳がある」というさざえ堂が登場し、人々は簡単に手に入る御利益と不思議な3階建の建物に上れるという「楽しみ」を求めて殺到。その後さざえ堂は全国に広がっていったのである。これは純粋な宗教儀礼であった参拝自体が、娯楽化していった過程を象徴する出来事として注目される。
そんな中、寛政8(1796)年、会津のさざえ堂が建てられた。内部の通路が二重らせん状になっていて、上りと下りの2つの通路がメビウスの輪のように表裏一体に合わさっている複雑かつトリッキーな立体迷宮。しかしこのような二重らせんによる参拝路を備えたさざえ堂はほかにない。
こんな解説でした。
本当に不思議な建物です。