日曜日、それにまだライフラインが復旧してないけど仕事が始まりました。
比較的被害が軽かった山形。
書くか迷ったけどやはりこの大震災で経験したことを書こうと思う。
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2011年 3月11日 山形県大石田町
会社の中で揺れを感じる。 が、いつもの震度3か4だろうとなめる。
が、だんだん大きくなってくるぞ!!
いつもとちがう! でかい!! うおっ、棚の上のものが落ちる。
長い! 3分ほど揺れた。
(震度5強)
すぐに余震が数回、
すぐに停電、
仕事にならないからみんな帰ることにする。
このときから携帯電話も繋がりにくくなる。
家が心配だ。
家に帰ると母上殿は無事だ。
すでに母は懐中電灯、電池、食料、反射式ストーブを準備しはじめていた。
「何かあったらこれもって逃げなさい(通帳とか印鑑とかまとめてある)」
母よ、あんたすごいや。
オレも会社のロッカーに入れてある栄養ドリンク、お菓子をかばんに詰めて持ってきた。
あとラジオも準備!
ラジオの力はすごいよ。
今なにが起きているのか情報が聞ける!
このラジオは数年前に正月のアニソン特集聞きながらモンハンオンラインするために買ったもの。
買っといてよかったぁ。
3時半、
母の携帯電話がなる。
「ピピママが北山形駅の電車の中で足止めされてるみたいだから迎えにいって」
ピピママ、妹のことだ。いま妊婦。
必死に電話をかけまくって母につながったらしい。
よし、行って来る!
「懐中電灯とパンもっていけ!」
これが正解、停電の街の中は夜は真っ暗でライトは必須だった。
「信号機止まってるから気をつけてな!」
車の中で聞くラジオは衝撃的だった。
次々絶望的な情報が流れてくる。
でかい交差点は発電機で動いていたが
他の信号機は沈黙じょうたい。
生まれて初めての光景。
交通の流れも遅く天童、山形に近づくにつれ渋滞になってくる。
北山形まで2時間半もかかる。
すっかり日も暮れ真っ暗じょうたい。
慣れた道すら「ここどこだっけ?」状態。
周りの景色で道覚えてるんだな。
看板や目印となる建物が見えないだけでかなり土地勘がにぶる。
PSPナビ持ってきて助かった。
駅に着いた。
まっくら、
人いるのか?
ライト照らして中に入ると駅員さんがいて事情を話す。
親切に対応してくれて電車内に案内してくれた。
いた、
妊婦の妹と見知らぬおばさん2人。
学生も2人ほど迎えを待っていた。
「この2人も乗せて欲しい。」とピピママ
おばさん2人が頭を下げた。
いいよw
東根と楯岡なら通り道だしね。
さて、真っ暗な街
これははじめての光景だよ。
県内全域で停電、いや、
ラジオの情報だと宮城、岩手、福島が津波で壊滅的な被害だというし
東北全体でやばい状態か。
相変わらず携帯電話が役にたたない。
まずは東根に一人無事送り届ける。
次は楯岡、
「ちょっと待っててね!」
うどん一箱もらっちゃった。
製麺所の方だったんだ!
あとはピピママも送り届けて帰宅。
家ではロウソクと懐中電灯での明かり。
ラジオを聴きながら家族でお互い今日のこと話す。
ロウソクの明かりですごす家族、非常事態だけどちょっとよかったかも。
反射式のストーブが2台復活してて暖かかった。
!!
直したんだ!
これ壊れかけてたはずだけど。
これ昨日「廃品回収で処分しようか?」なんて言ってたけど今日家族を救った。
捨てられないな。
しかもストーブで母は「煮る焼く蒸す」を同時に使いこなしてる。
「カセットコンロなんか有ると便利よねぇ」
いやいやいや、
無くても十分すごいから。
うちの母のサバイバル特性の高さをあらためて実感。
体験して実感した。準備できて助かった物
ライト、ロウソク、電池(予備があると精神的に違う)、
電池式ラジオ(精神的に違う!)
水、飲料水、
食べ物、お菓子(甘いものがあると大違い!)、
冬場はストーブ、
持ってればよかった物、ワンセグチューナー、カセットコンロ、携帯電話の充電器
水用のタンク
特に水の確保は切実だった。
飲み水しかり
食器などの洗うのも水、
トイレに使うのも水、
下水にはフロの残り湯を使った。
とにかく水は大量に必要。
車の洗車用のバケツ、
水の注ぎ口や縁に取っ手も付いててすごく使いやすい。