Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

義母の死

2017-09-09 23:04:55 | つぶやき

 義理の母が亡くなった。数日前から「もう近いかも」と妻には言われていた。仕事も忙しければ、仕事外のことでも忙しくて、そうは言われてもなかなか顔を出せなかった。ここ2週間ほど足を運んでいなかったので、水田の畔草も気になっていた。この9月は空いている休日が少なく、その空いている休日の今日、草刈に2週間ぶりに向かった。そう言われてから初めて見た義母の顔は、食べられなくなってしばらく経っていることもあって、痩せこけていた。正月に義父をおくってまだ1年弱。義父をおくったころにも「そう長くはないかも」と妻は口にしていたが、ほぼ8か月、妻も義弟も一所懸命義母の最期の道を繕った。

 考えてみれば、妻にとっては義父から数えれば長い介護の道だった。いいや世の中にはもっと長い介護生活をおくっている人もいるだろうから、あえて妻や義父の介護とのかかわりが突出していたとは言わない。しかし、おそらくふつうに仕事をしていたら難しいこと。妻と義弟が分担したからこそ、わたしにはそれほど負担がなくこの道が完結したと言える。「旦那さんが理解あるから」などということを言う人もいるが、わたしなどまったく支障があったわけではない。それでもと言われれば、草だらけで「この家住んでいるの?」と言われても仕方ないほど、ほったらかしだった我が家の悲惨な光景くらいだろうか。

 ということで義母の介護の終焉は、我が家にとってはひとつの区切りにもなるのだろう。結婚後義父の農業を手伝うために通った実家通いは、後に介護通いになり、実家にいる時間が生活のほとんどということになって何年もたつ。もちろん介護が終焉したからといって、妻の実家通いも終焉を迎えるわけではない。わたしも休日といえば通っているように、農業が残る。義父から引き継いだ農業を、これからもずっと妻は続けていくだろう。周囲の人々との軋轢は多いが、意図的に残してきた環境がある以上、これは続く。

 合掌


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