言うまでもないが、人との接触の少ない年だった、令和2年は。とはいえ、顕著になったのは3月以降なのだろうが、そうなるとそれほど意識してなかったので、これほど感染が拡大していなかった2月までも、多くの人と接したというわけではない。これをわたしなりのデータで振り返れば、今年は写真を撮っていない。そしてその写真に「人が写っていない」のだ。もともと祭りや行事を訪れて撮影していた場面が時々にあったのに、振り返ればそうした写真がほぼ皆無。先ごろ、とはいえ12月の頭であるが、辰野町の三峯様の祭りを訪れたが、そのくらいだろうか、今年人の写った写真を撮ったのは。おそらく「失われた1年」となるだろうと思っていたが、もはや、それは1年では済まなくなってしまう、そう悟っている。行事ばかりではない、ふだんも接する人の数は限定されている。これってよく言われるDVではないが、良い雰囲気で人間関係を保っていればともかく、そうでない環境を抱いている人にとって、つらい1年だったのではないだろうか。職場でも同様である。ふだん当たり前のように顔を合わせる人々。他人と接しないとなれば、人との会話にしても、空気を同じくする日々が、嫌な相手に日常が席巻されればいたたまれない。そう考えれば、いつ晴れるともないコロナ渦で、あえて嫌な世界を続けようとは考えられないだろう。そう思うと、次の1年は見えてくるのだろう・・・。
あえて仕方なく、というわけではないが遭遇した人々にとっても、そこには「マスク」という隔壁があった。見知らぬ人と、ふだんつき合っている人、いずれもが一堂に会すると、もはや誰が誰なのかわからないことも。すべてが他人であり、すべてが初顔合わせのような世界。そして、何よりそこに顔は「見えない」。わたしに限らないが、人の表情を受けて「何を聞こうか」と考える、いわゆる聞き取る側の思惑は、マスクと言う存在で遮られる。そもそもそうした場面が、来る年にやってくるのか、どうか・・・。
おそらく最悪の1年と思い浮かべる人は多いのかもしれない、令和2年という年を。しかし、あくる年がよき年になるという証はない。奇しくも大晦日は、感染者数最多を記録した。まさか元旦にそれを上回る人が感染するとは思いたくないが、その背景で多くの人々が年末だろうが、新年だろうが、そのために働いている。
何より忙しい年であったことは、身の回りがまったく整理されない現実を見るたびに思う。このままでよいのか、と思い、悔やむことは多い。したいことが何もできない。もちろん余裕を見出せない自らの能力低下が一因だ。他人には「新年」と口にするのだろうが、わたしには新年はまだまだ先のような印象。ずっと続けていた日記に「空白」があるのも、すべての表れといえる。埋めようと思っても、埋め尽くせない思いと、世界。まさに今年を描いているような、そしてこの後をいかに描こうかと、。時は止まらない、しかし、世間は静まり返り、歩みは止る。後悔と、反省と、そして戒めが人々の学びになることを願ってやまない。
********************* 数少ない場面から、今年の1枚
禍を燃やす(2020.2.3)
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