昭和44年に入ると1月1日の記録が最初である。「例年の通り、午後一時より新年会を開催し、盛会に行ふ」と記されている。
次の記録は2月28日で臨時常会である。この際の議題は区長並びに区議会議員改選についてである。区会での報告とともに、常会ごと区会議員が選出されているようで、候補者推薦について話し合われている。再任、あるいは新たな候補者、そして候補者への折衝と、その経過が綴られ、なかなか引受者がいない様子が記録からうかがわれる。
3月8日には昭和48年度末総会が開催されている。この1年の記録からわかることは、当時既に常会の年度は4月1日から3月末日であったことがわかる。年度末総会ではまず役員改選について報告されている。改選方法は、銓衡委員によって決定されており、その結果報告が総会では行われている。報告された役員は、通報委員長、同副、会計、納税、共済調査、防除班、健民衛生、公民館委員、林野委員、道路委員、農協部長、養蚕部長と、ほぼ前年と同様の役員名が記載されているが、「共済調査」の部分は、前年は「共済」と「調査」が別の担当だった。
年度末総会の二つ目の議題は「春の慰安会」についてである。その中で「予算不足のため旅行は中止する」とある。この記載ぶりからうかがうと、本来は旅行をしていたということなのだろうか。続いて花見会は「行うことに決定す」とあり、場所は地元で行うことが了解されて、詳細は後日立案とある。
三つ目は「○○技術員転居につき、餞別の印を送ることに致し、金壱千円を、長が参上すること」と記されている。「技術員」とは農業関係の技術員をさしていると思われる。以上が年度末総会の記録である。
昨年の記録にはなかったが、4月6日に春期の「定例道作りを行ふ」とある。いわゆる共同作業のひとつであって、この際に花見の件が話し合われたことが記されており、協議の結果29日午後3時から「会所にて行ふ」とある。そして詳細については「委員をあげて決定す」とあり、花見のための委員を正副委員長と、各組長、婦人会役員の6名とすることが確認されている。
ここまで「記録簿」の1年を捉えてきたわけであるが、記録者による捉え方の差もあるため、さらに1年を同様に経過を追ってみることにする。
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