伊那市高遠町長藤中条(令和7年1月19日午前8時30分撮影)
先日荒町の山の神講を訪れた際、手前の集落で道祖神の幟が上がっている所が2箇所見られた。ひとつは長藤の中条である。国道が藤沢川に沿って北上していて、藤沢川を渡って中条の集落に入ったすぐの辻にそれは見えた。この谷でこうした道祖神の幟を見かけたのははじめて。この時期に藤沢川の谷へ入ったことが今までなかったということになるのだろう。通り過ごしてから引き返して写真に納めたわけだが、頭の中では「山の神講が終わってから」という考えもあったが、経験上後回しにすると片付けられて無くなっているケースが今までにも何度もあったため、引き返すことに躊躇はなかった。
辻にはだいぶ風化した双体道祖神が祀られているが、目立つのは「庚申」である。その庚申塔の前には茶碗の欠片がたくさん散らばっていて、いわゆる厄落としがされたことがわかる。欠片の雰囲気から今年のものではないが、それほど昔に投げられたものでもない。厄落としの状況も、小正月になると毎年注視しているが、さいきんこれほどたくさん欠片が散らばっている場所はなかった。厄落としについても、後日少し考えてみたいと思う。双体像の横には角灯籠が置かれており、「道祖神」と正面に書かれ、側面には「中条祭事連」と「令和七年一月吉日」とある。建てられた幟には「欽上道祖神」とあり「平成二十四年一月 中条氏子中」とある。日章旗の建てられている金属のポールにも「奉納 中条氏子中 平成二十四年一月吉日」と記されたプレートが付けられていて、さらに幟が建てられている石製の幟立てにも同じく「中条氏子中」と「平成二十四年一月吉日建之」と刻まれている。さらに国道端の橋の脇にも「道祖神」文字碑がありその脇にも同じ角灯籠が置かれていた。文字碑の右側にある石祠も道祖神だろう。『長野県上伊那史』の民俗編「信仰」の項の道祖神一覧に記載がないが、双体像の左側に建つ棒状のものは自然石道祖神にあたるだろう。
山の神講を終えてから帰りに再度立ち寄ってこれらについて確認してみた。するとここでは幟は正月に建てて、どんど焼きが終わって下ろすという。どんど焼きは小正月の終わり、ようは二十日正月にかつては行われていたようで、今は20日に違い日曜日がどんど焼きの日に定められているようだ。高遠界隈では二十日正月にどんど焼きをする所が多い。
中条から北上するとすぐに旧藤沢村に入り、北原の集落に入る。その辻にも道祖神の幟が建てられていたが、そこでは写真に納めなかった。やはり帰りには既に幟は片付けられていて、話だけでも聞こうと何軒か立ち寄ったが、不在で話は聞けなかったが、おそらく中条と同じような日取りで建てられているものなのだろう。こう捉えると、いわゆるデーモンジと同じような意図で幟が建てられていることも考えられるが、実は道祖神の幟を建てるのは、諏訪や山梨でもよく見られる。やはりこの地域は山梨からの影響があると考えられる。
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