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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ハザ掛け2016⑦

2016-10-07 23:34:07 | 農村環境

ハザ掛け2016⑥より

飯田市水の手(2016.10.5)

 

 5日の朝方である。飯田市水の手の飯田松川左岸側水田の光景だ。この地域はほとんど町の中のような所だが、左岸側には川沿いにそこそこ水田など農地が広がる。水利の便が良いということもあって、いまだ稲作がある程度行われている一帯である。この日は雨が上がるという予報もあって、朝方から稲刈りをしている家があった。まだ水田には水がついているというのに、稲刈りなのである。もはや稲刈りのタイミングがなくなってしまっているという感じの、象徴的光景かもしれない。稲刈りをしている水田の手前側の水田は、奥はまだ稲が残り、手前の方にはぬかっていても稲刈りを強行したという光景が見える。もっとも手前の水田は、先ごろ雨のあい間を縫って稲刈りをしていた。倒伏していたので刈らざるをえなかったというところなのだろう。ハザに架かった稲がずいぶんくすんでいるのが解るだろう。倒伏していたため、刈る際に苦労されたと思う。したがって泥の中に倒れていた稲穂もあって、掛けはしたものの、泥がついたまま干されているのである。その2枚奥の水田はずいぶん青々しているのが解るだろう。この一帯ではもっとも早く稲刈りをした水田である。今秋はこんな具合に、稲刈りの時期が水田によって開きが出ている。いつ終わるともない稲刈りの先が思いやられる光景である。

 さて、今日は仕事で小布施へ向かった。高速道路上からは周囲の光景が解らないが、とりわけ中央自動車道からは、防音壁のおかげてさっぱり外が見えない。ところが長野道に入ると防音壁がまだまだ少なく、周囲の光景が見える。そんななか思ったのは、北へ向かうほどにハザ掛けの光景が目立つようになる。長野市周辺は好天になったせいか金曜日だというのに稲刈りを始めようとする光景がたくさん見えた。もちろんそうした人たちはおおかたバインダーで稲刈りをしようとしていた。このあたりではまだまだ自家で稲刈りをする農家が多いことが解る。ところ変われば、というほどに稲刈りの光景は地域というか自治体ごとに一変する。自治体の考え方、あるいは農協の考え方、いろいろ背景にはあるのだろうが、たとえばコメの収穫後の処理をする施設状況によってもそれは解る。JA上伊那エリアならカントリーエレベーターという巨大施設がいくつもある。とりわけ何度も触れているように飯島町から宮田村あたりまでは受委託が進んでいて、ほとんどのコメがそうした施設に入る。ハザ掛けが少ないのはその理由だ。カントリーに限らず受委託を行うと、自分の家のコメが食べられなくなる。自分の家のコメを食べたければ、自家で施設を整えなければならない。したがってただでさえ小規模な稲作農家は、自家のコメを食べたければハザ掛けして、自家で調製しなくてはならない。ハザ掛けだけで足らなければ、誰かに頼んで乾燥を掛けなくてはならない。「合わない」コメ作りをして、それでいて自家のコメが食べられない、ともなるとコメ作りをしている意味がなくなる、そう思う人も少なくないだろう。近ごろ黄色くなって収穫間もない稲の穂の中に、やたらヒエどころか雑草が稲の丈以上に伸びている光景は、自家で食べるコメではない、という意識があるからではないだろうか。逆に捉えれば、あの草だらけの水田のコメをほかの人が食べている、ということになるわけだ。

続く


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