Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

“水と油”前編

2020-01-11 23:39:56 | ひとから学ぶ

 表題の言葉は、人間関係を例える際に、よく使われる言葉だ。当人同士の間にある蟠りが、周囲の人々にはどうしてもわからないこともよくあるし、周囲からはその関係からどちらかに傾斜してしまうこともある。

 わたしの会社にAとBという人がいる。この2人、一生涯同じ空間には配置しないほうが良い、という裏情報がどこかにあったという。その通り、1度も同じ空間に身を置いたことはなかったようだが、出身地が同じということもあって、ある環境下でどうしても同じ空間に身を置かざるをえなくなった。そして周囲はそんなことは何も知らない中で動き出したわけだが、やはり、という具合に両者間の空気が周囲に悪い雰囲気を発散していった。そしてどらかというと、片方が「悪い」みたいな空気が流れ、さらに雰囲気は悪化していく。

 Aは「温厚で優しい人柄で、どこにいても誰とでもうまくやっていける性格」、それに対してBは自分の意見を強く押すタイプで、仲間を囲っていくタイプ。後者は運動系であり、Aが文系というわけではなく、やはり運動系である。どちらもかなり真面目なタイプだが、繊細さという面ではどちらも標準以上で、どちらも神経質なところがある。しかし、周囲から見ると、Aの方がBよりつき合いやすく、日々一緒にいると、より一層それは加速していく。前述したような正確だと、両者間に「水と油」のような意識があると、その関係も一層加速し、BはAに対して無視をするようになる。簡単に言えば、10人周囲に人がいれば、ほぼ10人に近く、Aを選択することになる。したがってBは孤立し、関係はより一層悪化する。Bが周囲に当り散らすようになるのは、ある意味致し方ないことである。とはいえ、Aは「温厚で優しい人柄で、どこにいても誰とでもうまくやっていける性格」だから、Bにアプローチする。ところが、無視を繰り返すからAも性格上「どうしてだろう」、といろいろ模索する。したがってAにとっても、周囲がどれほどAを支持しても、納得がいかない。Aは「誰とでもうまくやれる」という自負心があるのかもしれない。それでもBが受け入れないと、Aは周囲の同意者を囲って、例えば飲み会をしたり、食事会をしたりする。BがAを攻撃するのも必至なのだ。しかし、Bも真面目で冷静さがあるから、周囲にはそれほど目立たないようにAを攻撃する。あくまでも両者間の世界なのである。こうした性格だからこそ、「水と油」なのかもしれない。似ているから混ざりそうと見えるのに、混ざらない。水の方が油よりずっと扱いやすいし、飲むこともできるから、油が嫌われ、遠ざけるのは当然だ。Aが水、Bは油なのである。

 わたしよりこの両者年上であるが、どちらにも昔批判の言葉を浴びせたことがある。もしかしたら「水と油」にも溶けない別物質のわたしなのかもしれない。こういう人間もいるのである。人間関係が微妙なことは今さら言うまでもないが、AとBの周囲にいて、どのくらい周囲が両者を意識することになるかによっても、難しい空気は薄くも、また濃くもなる。介在する誰かがどう融和させていくかも、試される。会社だから尚さらだ。年齢上の階層が加わるから、度合いはまた違ってくる。

 「水と油 人間関係」と検索したら、トップに水と油「どうしようもない関係性もある」人間関係を起因とするうつという記事が見えた。ここに登場してくるうつになった女性は、冒頭の書き出しでまさにAだった。しかし、Aはうつになることはない。なぜならば、前述したように、周囲はみなAに同調するからだ。むしろこの状況下ではBの方がうつになりそうだが、性格上ありえないタイプだ。暴れても周囲に正当性を訴える。したがって周囲はAだけに傾斜することはできなくなり、結果的に周囲は危うくなる。

続く


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