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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

鬼無里下新倉の道祖神

2020-10-09 22:25:07 | 民俗学

 かつて「鬼無里の道祖神」について触れ、グラフで造塔数を示した。双体像7基に対して繭型の丸石が26基を数える特徴が見られた。とくに「繭型」というところに注目したわけだが、こうした丸石が道祖神として祀られている例は珍しい。さらに繭型丸石といいながらも五輪塔の残欠をそう呼んでいる節もあった。五輪塔については、「道祖神と五輪塔」で旧中条村の御山里にあった「道祖神」文字碑と、その周囲に転がっていた残欠五輪塔のことについて触れた。

 さて、長野市内から裾花川をさかのぼり、旧鬼無里村に入ったところにある南面斜面にある集落が下新倉である。坂道を登っていき、尾根の中途に大きな桜の木があり、その近くの墓地に隣接して薬師堂が建っている。そのよこにずらりと石仏群があり、左隣には薬師堂、右隣には墓地、と神様が祭られているという雰囲気はまったくない。が、そこに庚申塔のほか道祖神も祀られている。最も大きな石祠に納まっているのは薬師如来の立像だろうか、はっきりしない。次に大きなものが同じ石祠型庚申になり、それらに比べたら小さいものの目立つのは双体道祖神である。ちなみに石祠2基には、いずれも元禄15年の銘がある。それらの周囲に残欠五輪塔がころがっており、この地域らしい光景である。

 双体道祖神に銘文はなく、単純な稚拙な像容である。そして何と言っても『鬼無里の石仏』の中で道祖神として扱われているのがまつに繭玉型の自然石である。これが加工されたものとは思えず、おそらく自然石と思われる。銘文などまったくなく、ただの石といってしまえばそれまでだが、横たわっているものの、既にこれを道祖神と応える人は、もしかしたらみの地域にはもういないのかもしれない。ちなみに前掲書の発行は、旧鬼無里村次代の平成6年である。

 

 

鬼無里十二平の道祖神


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