Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

1年を振り返り

2018-12-31 23:06:08 | つぶやき

上田市野倉にてIターン移住者への聞取り(平成30年10月27日 撮影者 土田拓さん)

 

 昨年も12月29日に「このごろの郵便局事情」の中で、この時期に郵便局に行くのは気が進まないということを書いた。混雑していて、なかなか容易ではないからだ。この年末も通信の送付があって、昨日も、今日も郵便局に足を運んだ。こうした年末の郵便物大量持ち込みは4年目となる。これが最後となる。だから年末恒例とはいえ、最後だからと思い足を運んだ。この4年で環境が変わっている。まず郵便局の受け入れ体制の変化だ。もはや窓口に差し出すとなると、近所には扱ってもらえる郵便局はない。昨日は飯田へ、今日は駒ヶ根へ行った。今日は窓口に出そうと思ったが、あまりに長い列ができていたので、諦めてポストに投函した。こういう状況を見るにつけ、切手を貼って投函するということを前提として考えておくのも必要だ。扱う郵便局が希になって、たかが郵便局だが、年末だけは大混雑だ。年賀状の投函をしようとして訪れる人が多い。けっこう大晦日に投函する人も多いようだ。もちろん以前に比べたら年賀状そのものを送る人もかなり少ないだろうが…。

 隔月で4年も郵送していて、昨日初めて知ったことがあった。郵便局の対応がばらばらということもそうさせた。今まで「これで良い」と思っていた郵送の仕方が、正式には間違っていると指摘された。先にも述べたように、もう最後だから「今さら」という感じだが、いまだ未知なことは多い。

 さて、今年はどうだっただろう、そう考える余裕もない1年だっただろうか。民俗の会の雑用はこれでおしまいだ。ようやく少し余裕が持てそうだが、重荷ではなかったが、本当に雑用だったとつくづく思う。やはりみなで分かち合うべき負担だと、わたし的には思うが、とはいえ、確かに誰でも引き受けられるものでもない。年末の総会で規約改正があって、本来なら今日でおしまいだった役が、もう3ヶ月延長となった。とはいえこの3ヶ月の間に、今回の通信を合わせて2回だけの発送作業。負荷の大きな用事はないから、肩の荷が降りたことに変わりはないが、あとは引き継ぎのために身辺整理をしなければならないところだろうか。

 夏以降、これまでにも何度か記した通り、一旦転寝したあとに、2時間から3時間くらいいろいろ雑用をこなした。とくに最近は床に入るのが午前3時を過ぎたりして、歳を考えると床に入り目を瞑ると、このまま「目を覚まさないかもしれない」という思いでなかなか寝付けないことが多かった。それなのにこの1年「何をしただろう」、そう振り返ると何もしていないと気づく。能力の限度を超えるようなことも、「なんとかなるだろう」という楽観視で手をつけているのは昔と変わらない。でも歳のせいか処理能力は明確に落ちている。あるいは処理能力をアップすると、常時疲労が抜けない。

 世の中が思っている以上に変わりつつあるように思う。どれほどの人たちがその事実に気がついているか、愚問か…。

 この1年の締めくくりに、先日できあがった通信に、土田拓さんが例会報告されたことが印象深かった。人は思い込みもあれば、経験値のない世界には外見でしか推測できない。しかし、そこに経験値を与えてやれば学ぶことも多いのだが、今は自らそれを放棄する人が多い。理解のない人たちに世話をして、仕事を納めても、それに見合う心の返信がないと、「こんな奴らに真面目な思いなど通じない」と思う。何度も日々記している車の運転と同じだ。「何を考えているんだ」、それは何も考えていないのだ。口惜しいばかりの1年だったのかもしれない。


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