戦後73年
今年は6月の沖縄戦終結から始まって
広島・長崎の原爆、8月15日の終戦日
いずれもメディアの扱いが薄れたような
まるで政府からの干渉でもあるのかと
思いたくなるような取り上げ方を感じてしまいます
いよいよ戦争も風化していくということでしょうか
戦争時は幼く被災もしなかったので
語り継ぐ体験談は持ち合わせていませんが
義父はソ連に抑留されて帰国後
何も語らないまま亡くなりました
それほど過酷な状況だったのだろうと
頭の中では理解していたのですが
帰国したとき、アメリカから思想教育の尋問を
受け、一か月上陸できなかったという話を思い出し
今、検索してみました
もちろんソ連の思想教育のことも、抑留中のことも
「黒パン俘虜記」等本での知識はありましたが、小説と違って
生の調書の声に今、怖さで鳥肌立ってます
私が戦争に関心を持つようになったノンフィクション作家
角田房子の「満蒙開拓団 八万人の墓標」を読んだ義父が
「こんなものじゃない」と一言言った真意がわかったような
気がし、今更ながら、こんな過酷ななか生き抜いてきた義父が
愛おしく、晩年、もう少し優しく楽しく
接すればよかったと悔やまれます
<戦場秘話>
親しくしていた年上の知人の父親は中野兵学校出で
玉砕した00島でナンバー2の地位だった人らしい。
攻撃前、最後の船が日本に向けて出港するとき
側近の若い兵士を日本に返したそうです
その兵士が夜訪れて来て、母親が風呂に入れ
食事をさせていたのを覚えていると言ってました
父親がどんな思いで若い兵士を日本に返したのか
彼女たちも船を見送る父親の最期の様子を聴く事が出来
命を存えた若き兵士はその後も弔いに訪れ続けたそうです
戦後、マスコミが戦争未亡人達へのインタビューも
母親は決して受け付けなかったというのは
戦争に対するせめてもの抗議だったのでしょうか
人間をも狂気に陥れる戦場での
チョット感動したしらぜざる友人一家の物語です
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