ちょうど90分の昼寝をしました。起きてからの脊椎は快調、特に頸椎は放置しててもポキポキ伸びます。重ねたタオルの置き方が良かったのでしょう。各自、丁寧な微調整が常に大事だと思います。肩甲骨と肩に張りがあります。全体的にマシで、温度維持を重視するのは正解だと思います。
昼寝開始時より、アレクサを枕元に移動し、ロキシーの「アヴァロン」を繰り返し再生していますが、非常にリラックスできます。多くの西洋アーティストの御多分に漏れず、ブライアン・フェリーもインドに傾倒していたようで、その名を持つ曲も入っています。ヨガを強く意識したアルバムですね。やはり英国人のしゃれっ気には何処も敵いません。ブライアン・フェリーは労働者階級の子弟だったのですが、どこかしら英国人としてのプライドを忘れない姿勢を感じます。
ここから話がそれていきますw いつものことかな。
まあ、そのプライドの高さゆえに、海外旅行中の英国人にはつるみにくい人が多かったです。
フランス人も癖が強いですし、英語を使わない噂はかなりの部分、本当でした。
例外的にカシュガル到着時のガラガラの夜のバス車中で出会い、宿をシェアし、カラクリ湖湖畔まで行動を共にし、湖畔のゲル(当時は安かったのです。昨年、検索したらメッチャ高い宿に変貌していました)で一緒に泊まったフランス人の数学教師のお兄さんは、もうおじいさんだろうな、元気なのかなって懐かしく思います。あの時は私が高山病で翌朝、急遽下山しました。標高4000m超えてたと思います。
ググってみたらマジで超えててビビりました。若さ故の冒険心というか、無知って怖いですね。お時間ある方は「カラコルム・ハイウェイ」で検索どうぞ。
そんな大好きなウイグルが今はあんな事になってしまい、とても悲しく思っています。
つるみやすいのはイスラエル人(ほぼ全員が兵役前後のモラトリアム期間の人で、人口比で言うと異常に遭遇確率が高い)とオージーニュージーが圧倒的でした。米国人はそもそも旅行先に居ませんでした。彼らにとっての海外旅行とは、他のステイツ(州)に行くことで、外国なんぞ宇宙の外だってゆうジョークが旅行者の間で流行っていました。
ジョークと言えば、ありふれていたのが、当時の西ドイツ人との定番ジョーク、「こんどはあいつ抜きでやろうぜ」でした。「あいつ」がどこを指すのかはお察しいただければ。
思い出深いのは今はもうない、ロンドンもしくはイスタンブール(どちらかを客が選べました)から北京周辺までを往復するベンツの超大型豪華寝台バスです。
何か格好良い名前が付いていました。「アジアン・エクスプレス」に近かったと思います。「ユーラシア」だったかな。
客は裕福な老人ばかりで二十人くらいしか乗れません。お値段は当時で200万円では効かない金額でした。何万ドルだったっけ。
普段は高級ホテル宿泊なのですが、ホテルのない地域も移動するので、みんな車内で寝れる形なのです。
西安の七重の塔かな、その辺で出会い、後にカラクリ湖で出会って、お互いにびっくりして抱き合ったおっさん、もうこの世にはいないはずの年齢です。余裕で100歳を超えてますから。当時、既にリタイア組でしたので。
しかし、これで本シリーズにブライアンが三人も出てきましたね。ボイタノのカルガリーは2つとも別シリーズでレビューするとして、オーサーはする気が起きないプログラムと演技だし(これで敵をつくってしまったw)、フェリーは高尚すぎて無理、と綺麗に三色に分かれました。
このように三色なら塗分けは簡単に解決しますねw
ご興味がおありの方は「四色問題」で検索どうぞです。
昼食の調理時に、濡れた手を拭こうと思ったらいつも頭の後ろに乗せている二枚の重ねたタオルがないので、普通に吊ってあるタオルで手を拭いたのですが、タオルは頭の上にちゃんとありました。
一体何を書いているのか理解できないと思いますが、簡単に言うと、頭の上に置いたタオルを知覚できなくなるほどに慣れてしまったということです。
姿勢の制御もほぼ小脳でコントロールできる域にまで入り込みつつあります。
こうゆう慣れつつある時期が一番危険なので、一層注意します。
事情により、ここで一旦、投稿します。