綱敷天神社 禰宜日誌

大阪梅田の綱敷天神社のご案内ブログです

2月2日(旧暦) 梅田に天神さまがお越しになられた日

2013年02月02日 | ノンジャンル
2月2日。明日に節分を控えたこの日。実は当宮には所縁の深い日でもあります。

当宮の古記録によれば、この日、菅原道真公が、京都から太宰府へと無実の罪で左遷される途中、大阪の当地にお立寄りになられた日とされています。

「明逎二日に 津乃國難波江の 此乃 喜多埜の川上に 御着…」とあり、京都を出立した翌日にこの喜多埜こと梅田に到着された事が分かります。

ただ、これは旧暦の2月2日ですので、現在の暦に直しますと、今の2月下旬(当時の暦「宣明暦」から推測して2月23日か28日あたりが有力)であったと思われます。

この当地にお立寄りになられた際の事は、当宮の由緒の通りですが、道真公はその後、太宰府に向けて出立され、現在の福岡県太宰府市朱雀六丁目にある榎社に実質幽閉されます。

当宮の御本殿は西向きに建っており、これはいつか天神さまがお帰りになられた時、お迎えする為に西を向いていると当宮の社伝では伝えられており、今もお帰りをお待ちしている形となっております。

ですが、その方角は真西ではなく、微妙に南側にずれており、北を0度とした時、当宮の御本殿は方位角258度の方向を向いており、また正門は255度の方向を向いています。(真西は270度)

この方角のずれは戦前の社殿も、江戸時代の地図でも同じであり、不思議に思っておりました。

しかし、最近になって地図ソフトなどを用いて、当宮から255度の方角へ線を伸していくと、なんと、道真公のおられた太宰府の方へとあてはまる事が判明。

さらに不思議な事ですが、国立天文台ホームページの太陽角度の計算サイトで旧暦2月2日(2月23日で計算)に沈む夕日の角度を計算すると、こちらもピタリと方位角258度の方向に太陽が沈みます。

正直、そこまで考えて建てたのだろうかといわれると、分からないとしか言いようがありませんが、恐らく、天神さまがお越しになられた時、即ち梅が満開の頃に、沈む夕日の方向、そちらに天神さまがおられるのだと考え、社殿を建立したのかもしれません。 

それが天神さまのおられた太宰府・榎社の方向と偶然にもピタリと一致したという不思議が重なったというお話で、これも天神様との当宮の不思議な御縁と言わざるを得ません。

現在はビルが多くなってしまったので、当宮から沈む夕日は見られませんが、元来、大阪は夕日の美しい土地柄。 大阪の良さを天神さまの御縁で再発見させて頂いた事に感謝する思いです。

※素人調べですのでデータの正確性は判じかねます事ご了承ください。


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