親を想う
2016-05-15 | 日記
5月16日誕生日を迎える。
もうこの歳になると心の高揚というものは久しく無い。
誕生日を迎える度に、親がこの歳、当時28歳の私を
どんなおもいで見守っていたのかを想うことで両親を偲ぶ。
常に温かい親の懐に抱かれ、見守られ育てられたことを
ありがたく幸せに感じる。
そしてまた、両親を偲ぶ時、親孝行という感謝をして
いない後悔の念に駆られるてならない。
仕事がら休めない父、病気がちな母だったからと、自分を
正当化してみるも、いつも間違いに気付かされ後悔する。
親孝行したい時に親は無し。
もっともっと親孝行をしたかった。しなければならなかった。
歳を重ねる毎に、この後悔が強くなる。
両親に逢ったら、まずそのことを詫びよう。
病床の親を献身的に見舞うブロガーさんがおられる。
親の様態を気遣うブロガーさんの一挙手一投足にいつも
感動させられ目頭が熱くなる。
自分のあるべき姿を代行して頂いているようだ。
もうこの歳になると心の高揚というものは久しく無い。
誕生日を迎える度に、親がこの歳、当時28歳の私を
どんなおもいで見守っていたのかを想うことで両親を偲ぶ。
常に温かい親の懐に抱かれ、見守られ育てられたことを
ありがたく幸せに感じる。
そしてまた、両親を偲ぶ時、親孝行という感謝をして
いない後悔の念に駆られるてならない。
仕事がら休めない父、病気がちな母だったからと、自分を
正当化してみるも、いつも間違いに気付かされ後悔する。
親孝行したい時に親は無し。
もっともっと親孝行をしたかった。しなければならなかった。
歳を重ねる毎に、この後悔が強くなる。
両親に逢ったら、まずそのことを詫びよう。
病床の親を献身的に見舞うブロガーさんがおられる。
親の様態を気遣うブロガーさんの一挙手一投足にいつも
感動させられ目頭が熱くなる。
自分のあるべき姿を代行して頂いているようだ。