きょうも1日事務所。
積算のやり直しをして、再度確認。
あしたは、元帳以外を税理士さんのところへもっていってしまおう。
夕方になり、郵便局や銀行へいき、最後は買い物。
部屋の整理をするため、衣装ケースなど買いに。
ばたばたと買い物を終える頃には、あたりは薄暗くなってきてて、車に乗り込もうとしたとき、空を見上げて、
ふと気づくと、風が冷たくて
あ…
この季節の変わり目の風の冷たさがいろんな記憶を引っ張り出してきてくれた。
高校生のころ、自転車で駅まで通っていたときの風。
風が冷たくなると、陽が落ちるのが早くなる。
岸田さとしさんが、作詞の添削をしてたページが音楽雑誌にあって、そのなかで、秋の日は釣瓶落としという言葉が出てきてて。
そのときはじめて、そのことわざを知った。
目の前に湖があり、むかしから水汲みは湖からなので、井戸というものがないところで育った。釣瓶を知らなかった。調べたら時代劇でよくみるあれだなって。
当時、街灯がひとつもない田舎道を6キロ、自転車で全力疾走してたなあ。
そのことわざのとおり、釣瓶落としのように、あたりが急速に暗くなるものだから、大急ぎで帰ったもの。
運動音痴なくせに、自転車だけは競輪選手かとおもうくらい、早くなりました。
それからというもの、秋口になり、日が落ちるのが早くなると、秋の日は釣瓶落としなんだ、と。
なぜだかわからないけど、やたら釣瓶落としという言葉が気に入ってたなあ。
そんなこんなして、
わたしは生きてきたのだなあ、と
風にふりかえり…
冷たくなった風に、一瞬のノスタルジア…
すぐに我を現実にひきもどし、
車を出しました。
そんなこんなして
これからも生きていくのです。