起きる間際の夢の中で一生懸命英作文に挑んでました。
単語が思い浮かばなくて悩んでるうちに目が覚めました。
気分的に引きずり、英語の本と辞書を引っ張り出してきました。
(テーブルに置いただけですけど)
今年こそ、韓国語と英語のレベルアップしたいとは思ってるんですが・・・
(いつも思うだけ・・・出来ればすごいんだけれどな~)
私の英語力は全くお粗末そのもので語彙力もペケ。
海外旅行も韓国以外は行ったことがありません。
今年こそは韓国以外にも行ってみたいのですが・・・(先立つものがない~ ^^;)
英語と言えば中学時代に無謀にもアメリカの女の子と文通を始めたことがあります。
確か「中学時代」とか言う雑誌のペンパル募集欄か何かから申し込んだ気がします。
英語は初級も初級、何にもわからないのに始めようと言うのですから
もう狂気の沙汰としか言いようがありません。
早速 役立ちそうな本を買ってきてにわか勉強を始めて、何とかオレゴンの女の子と
文通が開始しました。
相手から来た手紙を見て愕然としました。
手紙の字が読めないのです。
筆記体の上、かなりのクセ字で、学校で習った字ではないのです。
教科書や本は活字体でしたからなんとか辞書がひけますけれど、
判読できないのでは辞書がひけません。
頭を抱えてしまいました。
お手上げです。
仕方なく わからないところを中学の英語の先生に教えてもらいに行きました。
本当は英語の先生に文通を始めたことを知られたくありませんでした。
だって ちっとも優秀でもない子が文通を始めたなんて知ると
呆れられると思ったからです。
でも、こうなったら聞くしかありませんでした。
何とか 数回は文通が続きましたが、いかんせん私の英語力があまりにもお粗末すぎて
長続きはしませんでした。
その後数年して、懲りずに雑誌を通してマレーシアの女の子と文通を始めました。
その頃にはさすがに以前より英語力はマシになっていて、
先生の手を借りることもなかったと思います。
その子は写真で見る限り スゴ~イ美人でした。(彫りの深い彫刻的な顔)
当然、熱心になりました(オイ、オイ 鼻の下が伸びてるぞ~)
彼女のお父さんは昔、日本軍の手伝いをしたとかで日本語がぺらぺらで、
彼女の英語の手紙の他にお父さんからの日本語の手紙が毎回添えられていました。
それで、彼女への手紙の他にお父さんへの返信も同封していました。
そこまでは良かったのです。
そのままなら 文通は続いたはずです。
ところが 悲劇が訪れました。
ナ、ナント 彼女が日本に来るというのです。
「会いたい」とのこと。
えっ、えっ・・・!!!
頭を抱えてしまいました。
なぜって、お金がかかりそうだからです。
だって、日本に来るといっても、着くのは東京でしょうし、
日本に来たら当然案内とか期待してるはずだし、
お金が必要なことは目に見えてました。
当時、自分の自由になるお金はほとんど有りませんでしたし、
家も裕福ではありません。
とても 父にお金を出してくれとは言えませんでした。
父には文通していることさえ 知らせていなかったはずです。
かくして、私の文通は終わりました。
返事を出さなかったのです。(あ、あ~ はかない憧れが・・・ サヨナラ!!!)
相手も 薄々事情を察したのだと思います。
完全に文通が途絶えました。
正直に私の事情と気持ちを伝えたなら何とかなったかも知れませんが、
そこまで知恵が回らなかったのです。
せめて大学時代なら何とかなったのでしょうが・・・・(残念無念!!!)
「HAND」 黒御影石
手から発する優しさやいたわりが表現したかったのです
今でも手には不思議なパワーを感じています
大きなサイズで作ってみたい作品です
単語が思い浮かばなくて悩んでるうちに目が覚めました。
気分的に引きずり、英語の本と辞書を引っ張り出してきました。
(テーブルに置いただけですけど)
今年こそ、韓国語と英語のレベルアップしたいとは思ってるんですが・・・
(いつも思うだけ・・・出来ればすごいんだけれどな~)
私の英語力は全くお粗末そのもので語彙力もペケ。
海外旅行も韓国以外は行ったことがありません。
今年こそは韓国以外にも行ってみたいのですが・・・(先立つものがない~ ^^;)
英語と言えば中学時代に無謀にもアメリカの女の子と文通を始めたことがあります。
確か「中学時代」とか言う雑誌のペンパル募集欄か何かから申し込んだ気がします。
英語は初級も初級、何にもわからないのに始めようと言うのですから
もう狂気の沙汰としか言いようがありません。
早速 役立ちそうな本を買ってきてにわか勉強を始めて、何とかオレゴンの女の子と
文通が開始しました。
相手から来た手紙を見て愕然としました。
手紙の字が読めないのです。
筆記体の上、かなりのクセ字で、学校で習った字ではないのです。
教科書や本は活字体でしたからなんとか辞書がひけますけれど、
判読できないのでは辞書がひけません。
頭を抱えてしまいました。
お手上げです。
仕方なく わからないところを中学の英語の先生に教えてもらいに行きました。
本当は英語の先生に文通を始めたことを知られたくありませんでした。
だって ちっとも優秀でもない子が文通を始めたなんて知ると
呆れられると思ったからです。
でも、こうなったら聞くしかありませんでした。
何とか 数回は文通が続きましたが、いかんせん私の英語力があまりにもお粗末すぎて
長続きはしませんでした。
その後数年して、懲りずに雑誌を通してマレーシアの女の子と文通を始めました。
その頃にはさすがに以前より英語力はマシになっていて、
先生の手を借りることもなかったと思います。
その子は写真で見る限り スゴ~イ美人でした。(彫りの深い彫刻的な顔)
当然、熱心になりました(オイ、オイ 鼻の下が伸びてるぞ~)
彼女のお父さんは昔、日本軍の手伝いをしたとかで日本語がぺらぺらで、
彼女の英語の手紙の他にお父さんからの日本語の手紙が毎回添えられていました。
それで、彼女への手紙の他にお父さんへの返信も同封していました。
そこまでは良かったのです。
そのままなら 文通は続いたはずです。
ところが 悲劇が訪れました。
ナ、ナント 彼女が日本に来るというのです。
「会いたい」とのこと。
えっ、えっ・・・!!!
頭を抱えてしまいました。
なぜって、お金がかかりそうだからです。
だって、日本に来るといっても、着くのは東京でしょうし、
日本に来たら当然案内とか期待してるはずだし、
お金が必要なことは目に見えてました。
当時、自分の自由になるお金はほとんど有りませんでしたし、
家も裕福ではありません。
とても 父にお金を出してくれとは言えませんでした。
父には文通していることさえ 知らせていなかったはずです。
かくして、私の文通は終わりました。
返事を出さなかったのです。(あ、あ~ はかない憧れが・・・ サヨナラ!!!)
相手も 薄々事情を察したのだと思います。
完全に文通が途絶えました。
正直に私の事情と気持ちを伝えたなら何とかなったかも知れませんが、
そこまで知恵が回らなかったのです。
せめて大学時代なら何とかなったのでしょうが・・・・(残念無念!!!)
「HAND」 黒御影石
手から発する優しさやいたわりが表現したかったのです
今でも手には不思議なパワーを感じています
大きなサイズで作ってみたい作品です