最福寺の蟇股(かえるまた)
京都府南丹市園部町埴生に曹洞宗の寺がある。度々の訪問。往昔、埴生城は本目城(神尾山城)の峰つたいに位置する山城で、埴生郷の土豪であった野々口氏の居城(砦)であったと言われている。豊臣秀吉が出した一国一城令(1615)により取り壊され、その時、城門が最福寺(曹洞宗)の薬医門として移築されたと伝えられていが、山門改修時、棟札より元禄十四年の冬に建てたことが判明する(郷土誌 丹波古道より)
この薬医門に、蟇股(かえるまた)が付く。外側に立ち沢瀉紋(おもだかもん)の文様の彫刻が、内側には亀甲紋の子持ち亀甲が見える。立ち沢瀉紋は勝ち草として縁起がいい、葉の形が矢じりに似ているところから、人気が高く日本の十大家紋の一つとなっている。また亀甲紋は亀の甲羅をかたどる紋で、正六角形である。その中に子持ちの甲羅を五個つける子持ち亀甲としている。
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立ち沢瀉紋(おもだかもん)
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子持ち亀甲紋が14ケが付く
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最福寺の薬医門(元禄十四年)他から移築したものではありません。