『絹掛の松』の伝承 園部町口司(こうし)
母から子へ、子から孫へと伝えられている口司(こうし)の『絹掛の松』の話。
府道454沿い東西にその集落がある。集落道前に倶楽部の建屋に石地蔵堂が祀られている。この場所に立派な松の木があり『絹掛の松』話が残っていた。伝承の松は枯れて今はないが、昭和35年頃、枯れ松の跡地に桜の木を植樹されている。
足利尊氏、建武三年(1336)四月、九州より再度洛中へ捲土重来をしている。尊氏五月二十五日神戸湊川にて楠木正成と戦い勝利する。負け戦とみるや新田義貞は友軍である正成を置いて、湊川から後醍醐天皇の皇子である尊良親王と共に逃げた。福住・天引峠・鎌掛峠・池ノ内・木原・玉ノ井・柴山の山麓を越え、洛中へと…。その途中、絹掛村(口司)に入った時、戦いの疲れ、幾つもの峠越で疲労困憊、ついに座り込んでしまった。丁度目の前に立派な勢いのある若松の枝に着ていた衣をかけました。それ以後、村人はこの松を『絹掛の松』と呼び、母から子へと、子から孫へと…伝承しています。
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<絹掛の松の伝承地>
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<倶楽部の内に祀られる石地蔵さん>
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<第五番 地蔵尊 むかしより きこへも尊き 六地蔵みちびき たまへ みだの浄土へ>
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<口司 倶楽部>