園部町屈指の『石造五輪塔」
徳生寺の境内に石造五輪塔(一基)がある。全高95cmの三尺塔として造られたものか。その使われ方は供養塔・墓碑がほとんどです。各部損傷なく見事に整った園部町屈指の石造五輪塔である。方形(地輪)、円形(水輪)、三角形(火輪)、半円形(風輪)、団形(空輪)から成る。密教では地輪(基礎)、水輪(塔身)、火輪(笠)、風輪(請花)、空輪(宝珠)に相当する。さて誰の!どの時代ものなのか、園部町も寺も資料は出てこない!…。丹波平定(天正三年1575)、明智光秀が信長の命によりに丹波に入っている。光秀は八上城主波多野秀治と激しい戦いを繰り広げた。ここ西本梅地区には埴生城(砦)、若森城(砦)など築城され、藩主領主の為に土地を守る戦いが展開した。この戦いで多くの武士(もののふ)が命を落としている。この者たちの供養塔として建てられたものと推測するが…さて誰が!? 歴史ロマンの謎多き石造五輪塔である。
① 基礎は背が低いものほど古い。鎌倉以降になると高くなってゆく傾向がある。
② 塔身は背が低く、球体のものが古い。鎌倉中期以降のものは下半身が壷型(茶壺型)をする。若森の普済寺の千種姫の塚も壺型をする。壷型が時代判定の鍵となる。
③ 笠は背が低いものほど古い。鎌倉期のものは軒がやや厚い。軒反りが大きい。
④ 請花・宝珠は一石で造るのが普通。この塔も一石で造る。低重心のものほど時代は古い。重心が高くなるほど新しい。
⑤ 石材は閃緑岩(花崗岩)を使っている。
⑥ 各部に梵字を銘刻するのもあるが、この塔は無銘である。
等々を総合すると中世期後半頃に造られたものと推測する。完全に揃った五輪塔は園部町でも珍しい!。徳生寺の創建は江戸時代の元禄期頃?。近くに埴生城主の屋敷跡地に同類の五輪塔(六基)あり、各塔の造りがよく似ています。
各部寸法【地…22 水…25 火…20 風空…26】(注)各部の寸法はアバウトです。
<歴史ロマン多き五輪塔>