徳生寺(曹洞宗)薬医門 (殿谷)
普済寺の分家寺として『徳生寺(曹洞宗)』が誕生する。今から300年前位(江戸中期の1700年頃)と言われている。
寺門は薬医門(やくいもん)の建築様式を取り入れている。正面の柱は長方形断面の鏡柱(かがみばしら・33㎝)で、その長辺を正面に向ける。鏡柱の上に太い冠木(かぶき・33㎝)を渡す。鏡柱(2)の後方には、控柱(2)(17.5cm四角形)を立て、柱が倒れないようにする。束(づか)・肘木(ひじき)・蟇股(かえるまた)・懸魚(げぎょ)・木鼻(きばな)等で組み、上に切妻造りの瓦屋根を乗せている、一般的な薬医門形式であるが、門の歴史・構造を知る上でも大切な文化財遺産である。
埴生の最福寺の薬医門は元禄十四年(1701)の冬に建てたと棟札に記されている。同寺もこの時代に建てられたと推測…棟札の発見が楽しみ。
<裏から見た薬医門>
<鏡柱・控柱・冠木・木鼻(三連斗・木鼻の上に斗をつける)等>
※棟札は建物を建て変える際に、年代・何代目寺住、それに奉仕した者や大工等の名前を板に記すのが一般的。