大池と八幡山
埴生の八幡山は八幡太郎義家の子孫が最道坊親水で、「八幡山」の名はここからつけられたそうです。旧埴生郵便局の裏山が地元では『八幡山』と呼んでいます。横に『大池』がある。園部藩(三万石)の領地。
埴生は肥沃な田園地が広がっているが、百姓は水に悩まされてきた。少し日照りが続くと下の田は水不足で田は干上がってしまう。ここで水のトラブルが度々発生する。特に穂らみの時期に水が不足すると、秋の収穫に打撃を受け死活問題となる。ここで百姓たちは養い池を造ってほしいと藩に申し出る。貧乏藩の「園部藩」としては租税が上がり、百姓たちのトラブルも解消…藩が潤うことになる。積極的に大池造りに取り組み大事業は完成した。
大池を掘って出た土は横に築山に盛りました。今、八幡山と呼ぶところです。その土のところは何を植えてもうまく育たず…、竹を植えられています。現在は地域の人たちにより清掃管理されています。(郷土の小学校の昔話より)
<大池の全景>
<豊穣の大地と八幡山>
<当時の石垣が…残っている>