ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

観音峠の『観音堂』

2020-09-28 | 神社仏閣
~観音峠の『観音堂』~ (南丹市園部町上木崎)
京都府を南北に分ける分水嶺が「観音峠」と言われている。ここに『観音堂』が建つ。
この峠(標高270m)から北の川は由良川水系として日本海へ、南は桂川水系として大阪湾へ注ぐ。気候風土・生活文化風習などもこの峠が境となっているようだ。昔から重要な峠である。

古い文献には三戸野峠とも呼ばれていた。江戸時代は旧山陰街道として賑わい、参勤交代の時は藩大名達も通っていたと…。峠道は狭く四尺道(約1.2m)が一般的、今も一部現存する。ここに観音堂が建っている。峠の語源も手向(タムケ)で、峠の神に手を合わせ往来安全祈願を祈ったところでもある。一般的に神を祀るが、時代は神仏習合のころ、この峠では仏が神となり疫病等もここで防いでいたようです。観音堂の由来はここからきたようですね。
南丹市園部町上木崎に位置する観音堂に、旧山陰道・手水石・石灯籠等に思いを馳せ…283年前にタイムスリップ。温故知新。

瓦葺の入母屋造り、方二間の造り。妻側に主屋(もや)から突き出た向拝を持つ。正面には見事な龍の彫物が施され、貫・肘木・虹梁の鼻に付けられた装飾彫刻の木鼻は獏(バク)である。蟇股(かえるまた)や欄間の細かい彫り物は一見に値する。お堂の創建は不詳であるが、お堂前の手水石(ちょうずいし)は元文二年(1737)の銘が、石灯籠には延享二年(1745)と読み取れるところから、この頃に建立されたと推察できる。屋根瓦は過去二度、葺き替えされているようです。鬼瓦には葺き替えた時代と職人銘等が入る。賽銭箱横に台座が不自然に置かれているが!…以前、左手に薬壺を持っ仏(賓頭盧尊さん)が、置かれていたとおもわれる?が…、今はない。お堂内に入られたのか…と思われます。


観音堂の前に一基、お堂の起こり、証の灯籠が
<延享(1745)二乙丑 九月 吉日(今から275年前)> 花崗岩製、風化が進み判読不可に近いが、かろうじて読み下す。

正面に<奉寄進>と彫られ、右側面に<丹波船井郡>と力強く彫られている。

手水石にお堂の建立時期が!… <願主 元文二(1737)丁巳年十二月吉日 敬白>この手水石が観音堂の建立時期と推察しても…大きな誤りはない。


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