護國山神護寺 (奥西観音堂)…其①
(船井ごおり三十三ケ所霊場 第二十五番札所)
船井ごおり三十三ヶ所観音霊場の札所の一つを訪ねた。『神護寺』は園部町半田安谷にある曹洞宗の寺院であった。明治初期頃の廃仏毀釈により、同じ半田に曹洞宗元興寺があったため整理対象寺となる。寺は八文字屋四郎太夫を開基、龍穏寺九世月心和尚を勧請開山とする。龍穏寺(仁江)の末寺である。当時、廃仏毀釈により経典・仏様・石造物類の多くは廃棄処分されている…一部、本山寺の龍穏寺へ『多宝塔』(神護寺21世の刻銘)が移設(※写真)されています。龍穏寺本堂前にある多宝塔は神護寺のものと聞く。又参道石階段沿いの五輪塔も神護寺からのものではないか?…詳細は分かっていない。今は半田の地に観音堂が立ち中に木造十一面観音立像が安置されている。船井郡西国三十三ケ所観音霊場巡り25番所としての様相が色濃く残っている。これらは半田の奥西観音堂保存会が維持管理されています。木造十一面観音菩薩立像は南丹市指定文化財(昭和45年7月23日)。
尚、奥西観音堂(神護寺)への道は高山の山麓にあるが、半田地区の一本杉(シンボル杉)より府道454号を100m程西へ歩く、左山裾が…入口です。
<龍穏寺多宝塔(仁江)に移設。元は神護寺の本堂前あたりにあったと…推察するが…!>