ひと筆めぐり 【新発見・再発見・摩訶不思議・唯一無二】への楽しみ…

地域に息づく歴史のひと幕にふれ、…遥かなる往時に思いを馳せる

絹掛の松 口司(園部町)

2020-01-15 | 伝承
『絹掛の松』の伝承  園部町口司(こうし)

母から子へ、子から孫へと伝えられている口司(こうし)の『絹掛の松』の話。
府道454沿い東西にその集落がある。集落道前に倶楽部の建屋に石地蔵堂が祀られている。この場所に立派な松の木があり『絹掛の松』話が残っていた。伝承の松は枯れて今はないが、昭和35年頃、枯れ松の跡地に桜の木を植樹されている。
 足利尊氏、建武三年(1336)四月、九州より再度洛中へ捲土重来をしている。尊氏五月二十五日神戸湊川にて楠木正成と戦い勝利する。負け戦とみるや新田義貞は友軍である正成を置いて、湊川から後醍醐天皇の皇子である尊良親王と共に逃げた。福住・天引峠・鎌掛峠・池ノ内・木原・玉ノ井・柴山の山麓を越え、洛中へと…。その途中、絹掛村(口司)に入った時、戦いの疲れ、幾つもの峠越で疲労困憊、ついに座り込んでしまった。丁度目の前に立派な勢いのある若松の枝に着ていた衣をかけました。それ以後、村人はこの松を『絹掛の松』と呼び、母から子へと、子から孫へと…伝承しています。


<絹掛の松の伝承地>

<倶楽部の内に祀られる石地蔵さん>

<第五番 地蔵尊 むかしより きこへも尊き 六地蔵みちびき たまへ みだの浄土へ>

<口司 倶楽部>

最福寺(曹洞宗)の薬医門

2020-01-12 | 神社仏閣
最福寺の蟇股(かえるまた)
京都府南丹市園部町埴生に曹洞宗の寺がある。度々の訪問。
往昔、埴生城は本目城(神尾山城)の峰つたいに位置する山城で、埴生郷の土豪であった野々口氏の居城(砦)であったと言われている。豊臣秀吉が出した一国一城令(1615)により取り壊され、その時、城門が最福寺(曹洞宗)の薬医門として移築されたと伝えられていが、山門改修時、棟札より元禄十四年の冬に建てたことが判明する(郷土誌 丹波古道より)
この薬医門に、蟇股(かえるまた)が付く。外側に立ち沢瀉紋(おもだかもん)の文様の彫刻が、内側に亀甲紋の子持ち亀甲が見える。立ち沢瀉紋は勝ち草として縁起がいい、葉の形が矢じりに似ているところから、人気が高く日本の十大家紋の一つとなっている。また亀甲紋は亀の甲羅をかたどる紋で、正六角形である。その中に子持ちの甲羅を五個つける子持ち亀甲としている。

立ち沢瀉紋(おもだかもん)

子持ち亀甲紋が14ケが付く

最福寺の薬医門(元禄十四年)他から移築したものではありません。


鹿島神社の奉納絵馬 殿谷

2020-01-08 | 神社仏閣
鹿島神社(殿谷・とんだに)
茨城県(常陸国)に鹿島神社があり、古来より武士神として崇敬が高く、また農耕・水に関わる開拓の神である。鹿島神社は全国に約600社余りありその総本社です。おそらく殿谷(先祖)は鎌倉時代に丹波の地にやってきた被護の被官で、官吏に深く関わった人物が移り住んだと思われます。故郷、常陸国の武の神を殿谷に勧請したのでしょう。この神社には源頼光鬼征伐の見事な絵馬が奉納されている。
頼光が大江山の鬼退治に向かう時、必勝祈願をしたとも。お隣の埴生の旧篠山街道沿いの茶屋に立ち寄り大江山へと向かったと云う伝説が残っている。
又伝承の中に、普済寺の観音様(千種姫!)を殿谷の農夫が背負って送る話が…昔話として残っている…のどかな谷合の集落である。(一部、郷土誌丹波古道を参考)
(園部のパワースポット巡りの紹介を……)

<鹿島神社本殿 京都府指定文化財>

<奉納絵馬「大江山鬼退治」>

<奉納 大江山鬼退治 小学唱歌>

第22番札所 普済寺観音堂(仏殿)

2020-01-07 | 丹波郡33ケ寺巡り
普済寺 観音堂(仏殿)ご詠歌

園部町若森に曹洞宗の寺『普済寺』がある。延文2年(1357)の創建。天台宗が寺の始まりで開基は千種姫、開山は夢窓疎石と伝えられる。江戸時代に入り曹洞宗へと改宗する。千種姫は足利尊氏の妹で、夢窓疎石の弟子である。楼門前の東塚の墓地に千種姫の墓と伝えられている五輪塔が立っている。
古文書を習って…10年余り経過…、。度々難解なくずし字に出会い苦戦する!、楽しんでいる。誤りも多々あります。…随時紹介していきます。

<観音堂(仏殿)、正面にご詠歌額が上がっている>

普済寺 観音堂(仏殿)の手水鉢

2020-01-05 | 石仏
普済寺 観音堂(仏殿)の手水舎

この寺には、100年、400年以前にタイムスリップできる多くの魅力がある。
手水舎(ちょうずや・ちょうずしゃ・てみずや・てみずしゃ)等と呼ばれ、身を浄めるために使う仏具施設を拾ってみた。

普済寺の観音堂(仏殿)、お大師堂前に『手水舎』があります。観音堂(仏殿)創建当時頃?、いや近世の江戸初期頃の作だろうか!と推察する。この時が、気分が高揚する。
 手水鉢(花崗岩製)の風化(剥離)が激しく、正面に何とか『手水』と読めるが『千水』等とも…字はかなり崩れている。側面・裏面に刻銘は見つからない?(許可なく勝手に触ることはできません)。写真で読み取る程度です。誤っている場合はお許しを。