『教育勅語』
行き成りですが、この言葉を発すると現代日本では、論争の火種になります。
黙して語らずなのが無難な世の中、
人によったら無責任と云われるかもしれません。
『教育勅語』の中身は大まかに云って、道徳教育の主旨のようなものと理解する。
第二次大戦後、それは廃止された。
その論争には、批判的な評価と肯定的な評価がある。
『教育勅語』が教育の基本に天皇中心の国体思想を据えたこと自体が問題とし、
様々な論旨を展開する批判的な評価
一方、肯定的な評価は教育勅語の徳目は、日本の伝統的道徳感が込められており
一様の規範となるものがあってもいいのではないか,などの意見
この話題を続けても,切りがありません。
自称書斎の机上に積み重なったガラクタ資料の中から
A4サイズのファイルケースに収まった一枚の印刷物です。
ー 人として行うべき十五のこころ -
ー 人はよく生きなければならない -
表題と副題が付いてます。
余程気に入って、捨てずに取ってあったのでしょう。
児童に絵を教えてる方から頂いたものです。
自由奔放な児童の躾の基本をなすものです。
もしかしたら、前記の肯定的な評価論者かも
これは推測です。それはどうでもいいのです。
「その十五のこころ」の第一項目が「親に孝行せよ」です。
じっくり、読みます。
― 考は徳のはじめ、自分を生み育ててくれた親に感謝し
年老いた親の世話をすることは人の道の基本です。 ー
恥ずかしきこと哉、気が付いた時にはその親はこの世の人ではありません。
時既に、遅きに失した。
遠い昔、高校の漢文の授業で学んだ記憶が蘇ります。
その趣旨を観念的に理解したつもりでも、
実践が伴ってない現実が身近に横たわっております。
古希半ばになって、悔いるばかりです。
そして、その第二項目が「素直なこころ」です。
ー ひねくれたところがなく、純真な心 -
純心な気持ちで反省してます。
お彼岸の中日にソメイヨシノの開花宣言
もう直ぐ、桜の満開を迎えます。
青山墓地へのお墓参り
親孝行のつもり。
ひとり息子に、しっかりもののお嫁さん
二人の孫娘、
末の孫娘も、四月から小学生
初々しい孫娘の事など
墓前に報告することが沢山あります。
「俺の家内、誰に似たんだろう?」
墓前に語れど、返事がないだろうなぁ・・・
『教育勅語』って、そんなに批判すべきことではないように思えた。