終日、サマルカンド観光の日です。
朝食レストランは7時から開いているので
集合時間の8時半までに各自で済ませます。
わたしの朝食、他にジュースとコーヒー(粉のネスカフェ)
見た目はプラムのようで味と食感はプルーン、気に入った
ハム・チーズ・パンも各種あって、ホッとした
葉物野菜は無し。
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中庭にプールがあったり
廊下の灯がシャンデリア風だったりするホテル
皆さんちゃんと時間厳守
*最初は紙すき工房の見学から
観光に力を入れ始めた政府の後押しで再生された工房のようです。
桑の枝の皮をむいて叩いてつぶして
日本の和紙と同じような作り方で紙が出来上がります。
桑で作った紙はネズミが食べないので2000年前のモノも残されてるという話だった。
紙製品が土産物としてささやかに売られていました。
前庭でお茶をいただきました。
お砂糖菓子(多分)を口に含んで、お茶
バスの中でガイドの話
「ウズベキスタンでは紙もシルクも桑からできてるんですね」
??シルクはシルクでしょ?
「紙は桑の樹から、シルクは桑の葉を食べて」
ハハハ
サマルカンドは、東西を結ぶ交易路、シルクロードの中心都市として
西の文化と東の文化が交差する場所として発展を続けました
13世紀、チンギス・ハンが率いていたモンゴル軍によって破壊され、
廃墟となってしまいます。14世紀になり、サマルカンドはティムール朝の首都としてふたたび栄華を極めます。ティムール朝時代のサマルカンドには、首都として、そしてシルクロードの要所として、多大な富が集まっていました。
ティムールは征服地から優れた技術者を集め、その財力で、モンゴル軍によって廃墟されたサマルカンドに荘厳華美なイスラム建造物を建てていきました。鮮やかで壮大な建築物は、この時期に建てられたものが多いですサマルカンドは「青の都」として有名です。その理由は2つあり、ひとつ目はステップ気候と地中海気候の間にあるため美しい青空が見れること、そして鮮やかな青色のモスクが建てられたことから、「青の都」と呼ばれるようになりました。サマルカンドでは、いたるところでこの「サマルカンド・ブルー」を楽しめます。
*シャーヒズィンダ廟群
アフラシャブの丘のふもとにある
廟 群 つまりお墓です。
11世紀から19世紀にかけて建てられた建築物が20以上あるそうです。
修復されたものからそうでないものまでズラッと並んでいます。
入り口の門をくぐると、『天国への階段』と呼ばれる階段があり
この階段の段数を数えながら上り下りし、
行きと帰りで同じ数だったなら天国へと行くことができると言われてるとか。
上り始めて数を数えていないことに気づいたんだけど
もう一度上り直すのもなぁ
そのままスルーしてしまった・・・天国が遠くなったかも。
11世紀から19世紀の間に建造された20以上の霊廟
修復されたものからそうでないものまで
ズラッと並んでいました。
どれが何やらさっぱりおぼえていないけれど
青が目に焼き付いてるわ。
一般の方のお墓もあります。
レギスタン広場のモスクが見えました、近いんだ。
シャーヒズィンダとは 『生ける王』 という意味で、こんな伝説があるそうです。
676年に預言者ムハンマドの従兄であるクサム・イブン・アッバースが、イスラム教の布教のためにサマルカンドにやってきたそうです。
翌年の677年、彼は礼拝中にゾロアスター教に襲われて、首を切り落とされてしまいました。
ところがアッバースは何事もなかったかのように礼拝を終え、自分の首を拾って、深い井戸に潜って行きました。
彼はそこで永遠の命を得て、イスラムが危機に陥ったときに助けに現れるそうです。
オープンエアーのレストランでランチ~
初めに並んでいたもの
トマト味のスープでうどんの太さの麺が入ってる。
プツンプツンで柔らか~なので残念。
お肉の串焼き・一人分ではありませんよ。
鶏と牛とミンチ、おいしい。
どの料理も塩分は控えめなんだけど
香辛料が効いてて、効き過ぎてて、お腹が心配になる・・・
香辛料を甘いケーキで和らげるって感じ
食事の最後には必ず温かいお茶がでます。
緑茶だったり、紅茶の時もあってホッとする。
長くなったので続きは後編にします。
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