水面を流れる重油のようにネットリとした暗雲が、ワルププギスの夜を汚していた。魔女たちは消えない火に大鍋をかけて、何かを煮ている。気味の悪い甲高い笑い声が時折は聞こえるが、あとは何の物音もしない。消えない火の光陰が、魔女たちの黒い姿をせわしく動かすように見えはするが、実際は蝋人形のように固まって身じろぎもしない。しかし今、不意に魔女たちの目が見開かれ、そのしおれた腕をみな同じほうへ向けて伸ばし、伸ばしきるとなお体までをもそのほうへと倒しにかかる。実際、何人かの魔女たちはそのまま地面に倒れ伏して起き上がらなかった。
無数の指という指が刺し示すその先には、ひとりのオッサンの姿があった。スナフキンのような帽子をかむり、上着もズボンもまた同じように垢じみた黒い緑色をしている。魔女たちの慌てぶりに対して、そのオッサンの当たり前のようにやって来る姿は印象的だが、魔女たちが何をしているのか分からぬと同様、そのオッサンも何しに来たのかは知れぬ。そもそも魔女たちが見えているのか、そのブツブツと煮えたぎる大鍋が見えているのかどうかもわからない。しかしようやく、オッサンが距離を縮めるにつれて、その片手には腐りかけの蕪を切り裂いて作ったランタンが、しなびた葉に続いて垂れ下がりブラブラと揺れており、その揺れは確かに、オッサンが意図して揺らしているのだということは知れた。魔女たちの視線はまさにその蕪の揺れに合わせて動揺しているから、オッサンと魔女たちとの間に理屈は通っているのだろう。
「ジョン!」と、魔女たちのどこからかから、ひねり出すようなしわがれた声が出て、オッサンは立ち止まりウンウンとうなずいた。魔女たちの間にひとしきりざわめきが起きる。「まさか戻るとは」「まだ燃えている」「なんという図々しさよ」云々。魔女に図々しいと言われるほどのこのオッサンは、してみれば人の尺度では相当に図々しいということになろう。しかしそういう評判とはまったく似合わない真っ直ぐな瞳をあげて、オッサンはまた蕪を揺らして見せる。微笑みすらしない、至って真面目な顔である。「くたばれ」と魔女たちのどこからか声があったが、その反対側の魔女たちのなかからは「鍋の下の炭をやろう」という声がヒッヒッという笑いとともに起こった。オッサンはまたウンウンとうなずくと、煮えたぎる大鍋のほうへ歩いてくる。魔女たちが汚いものでも避けるようにして粘菌のようにヌラヌラと凹みを作り、鍋へと一直線に歩いてくるオッサンをその1個の大きな目玉だけで見送る。なおもオッサンは歩を進めて、ついに大鍋の下へとかがみこんだが、どうしたことかその手を炎のなかへ伸ばしても炭は取れぬ。目の前に燃え盛る炭があるというのに、つかんだ感触はあるが、手を引いてみると何もない。そもそも炎に焼かれても熱さを感じない。しかし頭上では何かがブッブッと煮えたぎっているじゃないかと、オッサンは口を半開きにしたまま顔を上げてみるが。しかしそういえば臭いもしない。オッサンの仕草を見て魔女たちが一斉にヒャヒャと笑う。コピペの文章のようにみな同じに笑うので、オッサンの耳にはヒヒャヒャヒヒと猿の威嚇のように幾重にも響く。オッサンは両手で耳をギュッと塞ぐが、しかしそこからは動かない。またかというように口をへの字に曲げて突っ立っているばかりだ。そうするうちにニュッと炎のなかから魔女のしなびた手が出て、消し炭のような消えかけをコロリと3つばかりオッサンの前へと転がした。オッサンはかがんで、これは手に取れるのだろうかと手を伸ばしたが。熱さに驚いてビクリとその手を引いた。途端に魔女たちの笑いは止み、まったく音のない空間が広がる。ただ無数のあの大きな目玉が、オッサンの引っ込めた指の先を穴があくほど凝視していた。オッサンは気づいたとばかりに、かの腐った蕪を引き寄せて、なかの今しがた燃え尽きた炭火のわずかな灰をふるい、魔女の手が転がしてよこした3つの消し炭の上へ蕪の裂け目を押し当てた。持ち上げれば消し炭は、蕪のなかの無限の闇かと思うその裂け目の空白のなかに鎮座している。これでよしという具合にオッサンはうなずき、あとはもう二度と大鍋のほうは見ずに、独りまたトボトボといずこかへ向けて歩き出した。見上げれば油を流した夜の空を、何か煌々と輝く点が、機敏に揺れながらこちらへと寄せてくる。何かガラスをキンキンと叩くような、かすかな音も聞こえるようだ。漆黒の地平の彼方からユニコンの団体さんが押し寄せる。オーグたちが1つ目をギョロリと光らせその逞しい腕に棍棒を振りかざしてユニコンに襲い掛かる。その1体が魔女の大鍋をひっくり返し、煮えたぎった赤黒い何かをかぶって魔女たちが悲鳴をあげるかと思えば、悲鳴は高らかな笑いへと変わり、魔女たちは1つの大きな影となってオーグたちを飲み込んでいく。そんなカオスな光景には興味がないとばかりに、オッサンはもう遠くへ行ってしまったようだ。今はもうオッサンの下げるジャックオーランタンの、かすかな光点が見て取れるばかりだ。
薄明、高い山の頂に立って、オッサンは麓の村に灯るいくつものカボチャのランタンの、淡い光を見下ろしていた。自分の手の中にある不気味に裂けた蕪のランタンの、ほのかな温もりを感じながら。今なお自分が存在していることを、この腐った蕪だけが証明してくれているようだ。オッサンはまた歩き出した。どこへ行くともなく。
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