秀則一家が家族旅行から一週間ぶりに帰る。
おアキさんにお土産を持参して。
「ただいま、おアキさん。留守中変わりはありませんでしたか?」
「旦那様、奥様、お帰りなさいませ。
特に何もございませんでした。お帰りになられるこの瞬間までは。」
帰ってくるなり騒々しい秀彦と早次を見て、ため息交じりにそう言った。
「ねぇねぇ、おアキさん!海ってね、とっても大きいんだよ!海の向こうはね、また海で、そのまた向こうもまだまだ海なんだ!そのずーと向こうには雲がモクモクってこ~んなに広がっているんだ!ね、凄いでしょ?
ほんでもって、大っきな波がザッバーンって何度も何度もやって来るんだよ!ボクは『ワ~!』って慌てて逃げても、凄っごい速さで追いかけてくるんだ。
おアキさんにもみせたかったなぁ~!
あ!そうだ!これこれ!」
そう言ってリュックの中から四つ折りにした画用紙を取りだして、秀彦が描いた海の絵を見せる。
「アラアラ、お上手だこと!この絵の下の砂浜に居るのは家族の皆さまですか?」
麦わら帽子を被った人の姿が大小並んでおり、まるで単純化された記号に見える。
それにしても入道雲が大袈裟なくらい大きい。
「そう、これがお母さんで、こっちのいちばん大きいのがお父さん。このちっちゃいのが早次だよ。夏休みが終わったら、この絵を学校に持っていくんだ!夏休みの宿題だよ。」
「そうですか、良かったですね。宿題の絵をチャンと描けて。」
「他にもこんなに描いたんだよ!」
そう言って他の画用紙を3枚ほど見せる。
人間らしき記号が真ん中に居る虫取りの絵に花火の絵、それに芝生の上で一家がお弁当やおにぎりを食べている絵もある。
「こんなに描かれるのなら、来年の宿題は絵日記がよろしいようですね。」
「絵日記?」
「そうですよ。その日あった出来事を絵と作文で描くんです。」
「へぇ~、それ面白そう!」
もう来年の夏休みも家族旅行に出かける想像をする秀彦であった。
(だけど、お母さんに叱られた時のことも書かなきゃダメ?
そんなの嫌だな。恥ずかしいし。)と思い浮かべ、真剣に悩む秀彦であった。
早次はその間、ずーっとふたりの会話を聞いていたが元気なのは最初だけ。
直ぐに百合子に抱っこをせがみ、たちまち夢の中に入ってしまった。
こうして藤堂家の家族旅行は無事終了。
またいつもの都会の喧騒と、繰り返される日常に埋没してゆくのであった。
そして約3か月後。
百合子が第3子の妊娠を告げる。
その辺の具体的なやり取りは、もうこれで3度目になるので敢えて省略する。
え?聞きたかった?
・・・ヤッパリ止めとく。
だって今は戦時中の非常時なので。
イチャイチャした惚気話は軍人さんに叱られそうだし。
そして百合子から妊娠を告げられたのとほぼ同時期の10月25日付、秀則に新たな人事異動の命令が下る。
それは鉄道調査部技師として、更に企画院技師を兼任するというもの。
企画院?
それは戦争遂行をスムーズにするため、国家経済の企画・調整を担当する内閣直属の事務機関。
日中戦争が勃発したすぐあとの10月25日、内閣資源局と統合してできたのが企画院。
第34代近衛文麿内閣の時に発足された機関で、国家総動員機関及び、総合国策企画官庁としての機能を併せ持ち、重要政策・物資動員の企画立案を統合した強大な機関である。
戦時下の統制経済諸策を一本化し、各省庁に実施させる機関であり、国家総動員法(1938年(昭和13)5月5日)制定以降はその無謬性を強めている。
つまり秀則は鉄道省に籍を置いたまま、内閣中枢の最高機関での活躍を求められる存在となったのだ。
企画院での彼の身分はやはり技師。
企画院内では一般的に帝大出身者のポストである。
やることは今までと大きな違いは無いが、鉄道省内でのものの見方と論理と、企画院の非常時での国家全体を俯瞰した見地の論理は違う。
企画院では内閣が直面する様々な事情が直接見え、軍の動向、それらを見据えた先手先手の政策を奏上しなければならない。
時は内蒙古に自治政府が成立、11月には9カ国条約会議開催。(日本は不参加)
日中戦争とはいえ、日本、中国の二国間戦争の枠を超え、欧米列強が中国に加担する図式が会議にて決定された時期であった。
孤立する日本。
まさに国家非常事態の危機感満載の雰囲気が充満していた。
僕は戦争の是非とは関係なく、自分がどんどん政府の中枢に引き込まれていく危うさと不安が増してきた。
僕は鉄道が大好き。
だから趣味も志しも鉄道に傾倒したのは当然である。だから真っ直ぐに鉄道省に入った。
なのに、いつの間にか自分が望んだ訳ではない戦争遂行政府の中枢に居る事に違和感を覚える。
もちろん僕は普通の一般的な日本国民として、日本のためになるならこの身を捧げるつもりである。戦争遂行も厭わない。
だが、何故か釈然としない。
自分の夢や理想が、いつの間にか戦争に利用されるという事実に。
その純粋な気持ちを、心ならずも理想とは違う現実に引っ張られるのは、何かが違う気がする。
鉄道経営は、もっと人のための楽しい存在であるべきだろう。
兵員や軍需物資を最優先に遅滞なく輸送するのが至上命題だなんて、僕が夢見てきたのと違う。
こんなこと他人に言ったら甘いと非難され、非国民と罵られるだろう。(当時は『非国民』と非難するのが流行りだった)
だから決して誰にもこの気持ちは打ち明けられない。
だけどヤッパリ、自分の信念は曲げられない。
鉄道は人的総合力の結晶である。
運営にあたるすべての部署・人員が心と力を合わせ、足並みをそろえて邁進するのが理想で円滑な鉄道運営である。
だから皆が納得し、希望を以って仕事をする職場環境が大切であり、命なのだ。
明日の食事にも事欠くような劣悪な賃金・経済環境や、差別や不当なパワハラが横行するような職場環境では経営は絶対にたちゆかない。
だからと言って過度な保護や、権利の乱用を奨励するべきとも言っていない。
今できる事を、誰もが納得できる常識的の範囲で最大限努力すべきなのだと言っている。
職場をタコ部屋にしてはいけない。
働く者の人権を蹂躙してはいけない。
誰もが出来得る限りの最高な技術習得の機会を閉ざされてはいけない。
この世の中は、あまりにも人の命と権利が軽い。
下層民の生活環境が劣悪過ぎる。
自分にはそれらを改善する力はない。
でも、せめて鉄道環境だけでも理想を実現したいのだ。
海外視察で見てきた諸外国も、日本の現状も僕の目からみたらまだまだ途上にある。
だが本当なら、人種差別も貧富の差の階層差別も鉄道には要らない。
日本国内にも貧困層は多く存在する。
更に朝鮮・満州の労働環境を見ても、決して褒められたものではない。
確かに日本人の中には自分はエライのだと勘違いして、現地の人間を見下す輩は意外と多い。
ただ自分は日本人というだけで、支配者階層と思い違いをしている者たち。そんな自分に一体どれだけの力があるというのか?威張れるだけの実力と根拠があるのか?そう問いたい。
そんな輩には、日本がアジアで先遣を切って走る民主国家の主権者となるべき、自覚ある市民としての意識改革の努力が足りないとの誹りを肝に銘ずるべきであると思う。
だから半島労働者の扱いも、満州での人材発掘も人権をおざなりにしてはいけないのだ。
もちろん朝鮮人や満州の中国人の間には反日思想が渦巻いているのも事実である。
そして彼らの労働意欲がそのせいで損なわれていることも。
実際、戦争が終わった後世(今現在)で、中国人や朝鮮人がありもしない日本による残虐行為や人権に関わる差別をでっち上げ、歪曲し日本を執拗に攻撃している。
どれだけ理詰めでかれらの言いがかりを論破しても、一向に意識と主張を変えることは無い。
それが彼らの本質であるのも確か。
後世だから言えることだが、彼らには関わるべきでなかった。
つくづくそう思う。
だが、今はそんな後悔している場合じゃない。
気を取り直して敢えて言うが、それらダメな部分が彼らの民族全ての意識であるとは言えない。
純粋に意欲と良識と理想を持った者も存在するから。
職場と仕事に無気力や悪意を持つ者は排除しなければならないが、崇高な理念や志し、努力を惜しまない者たちは正当な評価を受けるべきだと思う。
それが僕の基本スタンスである。
その考えが絶えず企画院の同僚たちや軍部との衝突を産む。
今は戦時の非常時であり、そんな悠長な意見を受け入れている場合でない!と。
秋の深まるある日、島村と飲む機会を設けた。
島村は大層腐っている。
「島村、どうした?何か気にくわないことでもあったか?」
「ああ、気にくわないね!お~い、おねぇさん、ジャンジャン酒を持ってきてくれ!」
手招きしながら女給さんに注文する。
「何だか荒れてるな。今は戦時中だってこと、忘れるなよ。深酒は禁物だし。」
「これが飲まずにいられるか!ってんだ!」
「何をそう怒ってるんだ?仕方ないから僕が聞いてやる。何でも言ってみぃ?」
「随分上から目線でいうな。
(気を取り直して)おぅ!今日は俺の愚痴を聞いてくれ。こんな事話せるのはお前だけだしな。」
「愚痴を打ち明けられるのは僕だけ?友は僕だけか?お前って本当に友達が少ないな。」
「ほっとけ!人付き合いが下手で不器用なお前に言われたくない!」
お互いの交友関係の狭さを熟知した昔からの友同士、無駄に傷口に塩を塗るおバカなふたりであった。
「実はな、俺が2年前開発したD51が機関士の間で不人気でな。」
「ほぅ、不人気?まるでお前のようだな。
人気のないお前が作るのだから作品も不人気なのは必然だろ?」
「やかましい!俺は不人気なんかじゃないわ!巷で鉄道省の『大河内傳次郎』と呼ばれているこの俺様を捕まえて、人気が無い?何が不人気なもんか!」
「大河内傳次郎?そんな根も葉もない出鱈目な評価を誰がした?有り得ないだろ?」
「エェ~い!そんな事はどうでもいい!話の本題はD51だ!」
「そうだったな・・・。D51だったな。で?D51がどうした?」
「あれはな、単式2気筒過熱式のテンダー式蒸気機関車でな、俺としては傑作だと思っているんだが、勾配線を担当する各機関区の連中から、D51形じゃなくて前世代のD50形の配置を要求してきたんだ。半ば公然と受け取りを拒否してきたんだよ。」
「そりゃまた豪気な話だな。何でまた受け取り拒否を?」
「それなんだ。D51の何が気にくわない?って聞いたら、ボイラーの重心が極端に後方に偏っているんだってよ。しかもその傾向を助長する補機配置のせいで、動軸重のバランスが著しく悪いし。って言うんだ。」
「専門的な事はよく分からんが、そのバランスの悪さが致命的ってことか?」
「致命的って・・・、開発者の前なんだからもう少し気を使ってくれないか。
要するにそれが原因で列車牽き出しの時に空転が頻発するんだってよ。
その上更に軸重バランスの悪化の辻褄合わせで、運転台の寸法を切り詰めて狭くしただろって指摘してきたんだ。
しかもテンダーの石炭すくい口の位置が焚口に近過ぎて、窯たき乗務員に劣悪な環境での乗務を強いてるって言うんだ。
そんなの仕方ないだろ!」
「ヤッパリよく分からんが、要するに使い難く、狭くてダメってことか?」
「おいおい、身も蓋もない容赦ない言い方だな。」
「でも彼らの言い分はそういうことだろ?」
「まぁ、そう言っちゃ、そうだけど・・・。」
「事前に試運転とかしなかったのか?」
「勿論したさ!俺だって入省時の新人時代は窯たき修行から始めているし。」
「じゃぁ、何でクレームが来たんだ?
動力性能だけを追求し過ぎたんじゃないのか?」
「ある程度の欠点があるのは事前に分っていたけど、そんなの許容範囲だし。それに軍の要求には逆らえないだろ?開発には期限があったし。」
「軍の我儘と横暴には困ったもんだな。その辺はよ~く分るよ。
でもな、だからって使えないものを造るって本末転倒だろ?
「使えないって・・・」
「現場から受け取り拒否されるって、そういうことじゃないか?
厳しいこと言うけど、ダメなものはダメ、出来ないものはできないってキッパリ主張しなきゃ。
軍の要求なんて、理詰めで対抗しなきゃ押し切られるだけじゃないか。」
「気合と根性で凝り固まった筋肉脳の軍のお偉いさんたちに理詰め?無理!」
「まぁ、確かに。」(そこで納得するんかい!)
「でもここで問題点が浮き彫りにされたのだから、これをラッキーと思わなきゃ。」
「ラッキー?」
「またはチャンスさ。」
「チャンス?」
「だって改善点を指摘されて使えないと云うのなら、いい機会じゃないか?
それを錦の御旗に堂々と改良できるだろ。
軍も流石にそれじゃ文句も言えないし。」
「それもそうだな。藤堂、お前100年に一度は良い事いうな。」
「100年に一度かい!」
「お前がそんなに老獪な策士だとは思わなかったよ。」
「企画院の魑魅魍魎の中でもまれていたら、自然とそうなるよ。」
「そういゃ、奥さんも策士だったな。お前も苦労してんだな。」
「ここで愛する妻の百合子を引っ張り出すな!」
「よくも俺の前で『愛する妻』なんて恥ずかしい事、堂々と口に出せるな!」
「実は百合子は今、三人目を妊娠中なんだ。」
「お盛んな事で。
ヤッパリお互い苦労するな。」
「そうだな・・・。」
お開きにして家に帰ると、妻がまだ起きている。
百合子をマジマジと見つめていると、
「何ですの?」と恥ずかしそうに聞いてくる。
「百合子、愛してるよ。」と囁く僕。
「バカ!」
つづく