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『シベリアの異邦人 ~ポーランド孤児と日本~』 連載版 第35話 最終回「連帯」Niezależny Samorządny Związek Zawodowy „Solidarność”

2023-03-11 10:34:48 | 日記

   『連帯』(Niezależny Samorządny Związek Zawodowy „Solidarność”)誕生

 

 母ヨアンナの命の灯が細く、小さくなった頃、再び大きな事件が起きた。

 1980年7月ルブリン及び郊外にあるシフィドニクの労働者がストライキを起こす。ストライキは大胆にも社会主義政権に対する抗議の行動である。

 その発端は7月8日、オートバイ製造メーカー『WSK』シフィドニク工場に務める工員たちの不満爆発。ストは瞬く間に拡大、ルブリンから周辺工場へ広がりを見せ、鉄道などの交通機関は麻痺、参加企業150件、約5万人もの労働者がストに参加した。

 彼らは10年前のグダニスク暴動デモやストライキのような、口先で騙され直ぐに鎮圧されてしまうような甘っちょろい方法ではなく、労働者同志の横の連携を継続的に強化し、工場のロックダウン(工場封鎖)の波状攻撃という強硬手段を使い、尚且つソ連に弾圧の口実を与えないため暴動は起こさず、慎重に行動した。

 彼らはプラハの春とグダニスク暴動の失敗から学んでいるのだ。

 

 彼らの主張は、

・経済改善による生活安定。

・労働組合活動の自由。

・党・政府上層部の特権廃止。

・各工場に於けるお役所手続きの廃止・軽減。

などである。

 ルブリン7月ストは2週間続き、政府側の譲歩・全面敗退にて決着した。

 そのルブリン7月ストが大きなうねりとなり、翌8月、グダニスクにも派生する。 グダニスクの8月ストはルブリンのスト方式を踏襲、ロックダウンを展開した。

 グダニスクのストは共感と団結を産み、次第に全国に広がる。その結果、政府はなす術なく譲歩した。

 この時初めて政府の管理から独立した、自由な労組の設立を認められた。

 その状況をみてアダムとレフは迷うことなく動き出す。

 

 グダニスクストを指揮したレフとアダムは、1980年9月1日『連帯』(Niezależny Samorządny Związek Zawodowy „Solidarność”)を組織、人望が厚く、リーダー然とした貫禄を兼ね備えたレフが議長、冷静沈着な知恵袋アダムが書記長として政府と対峙する。

(議長が活躍する場面を日本の報道機関が紹介する時、当時『議長』ではなく『委員長』との呼称を使用していたが、ここでは議長とする。)

 政府の干渉を受けない完全な自主管理労組『連帯』の誕生である。自主管理労組と言っても、日本の一般的な労働組合のような、(職場の賃上げや労働条件交渉などの)単なる労働運動に特化した組合ではない。労働問題を超えた国全体の政治課題にも声を上げる組織としての性格も帯びていた。

 『連帯』結成大会ではレフの演説に先立ち、書記長アダムが聴衆を鼓舞する声明を『連帯』執行部名で発した。

 

「諸君!我が同志であり、誇り高き労働者階級の戦士よ!私たちはここに宣言する!

私たちには崇高な志がある。今こそ立ち上がるべき時なのだ。

私たちはいつまでも外国の支配に屈していてはいけない!君たちはそびえ立つ獅子であれ!

今までの長い間強大な力にひれ伏さざるを得ない屈辱な時を耐え忍んできたが、魂まで差し出しては来なかった。

その誇りを忘れるな!この国を支配してきた国民を管理する悪魔を打ちのめせ!

 

私たちの意識を支配した悪魔とは?即ち、どうせ自分たちは権力の前では無力で小さな存在に過ぎない。

そんな負け犬根性に染まった無関心、無気力、無教養である。私たちはそれらと戦い打ち勝つのだ!

今ここに我が祖国ポーランドに真の独立をもたらすため、『連帯』結成を宣言する」

 

 

 誕生したばかりの自主管理労組『連帯』は世界の注目を一身に受ける。焦ったポーランド政府はオロオロするばかり。

 ソ連は幾度も脅しをかけるが、『連帯』は決して屈せず、その存在を誇示した。

 

 当時ソ連は、1980年11月に誕生した対ソ強硬派であるアメリカレーガン大統領とのスターウォーズ(成層圏を越える弾道ミサイルを含む宇宙開発競争)に敗れ、次第に国力を奪われる前であったが、実はそのずっと以前から経済力は疲弊しズタズタだったのだ。

 その証拠にソ連を含む東側諸国の国民生活は、明らかに西側の生活水準より劣っていた。

 言論の自由だけでなく、生活も立ち遅れていたのだ。 国民の潜在的不満が高まるのは当然である。

 レーガン大統領がスターウォーズを仕掛けたのも、そんなソ連の内情を見透かし、ゆさぶりをかけたと云うのが真相だろう。

 ソ連には、もう衛星国の支援や体制維持に関わる経済力も支配力も残っていない。ポーランドの自由化を阻止できないのだ。

 そんな追い風と世界の世論を背に、『連帯』は全ポーランドの希望の星となった。

 

 神がポーランド独立に味方し、力を貸した?

 

 そうではない。

 

 彼らポーランド人が決して諦めず、自らの不屈の闘志で勝ち取ったのだ。

 

 

 

 ヨアンナはその様子を見届けながら次第に弱っていった。

 懸命に看病するエミリア。 しかし運命の日がやってくる。

 ヨアンナはエミリアに最後の言葉を託した。

「エミリア、いつも私とアダムのそばにいてくれてありがとう。 私の命はもう長くはないの。だから最後にあなたとアダムに私の遺言を伝えるわ。」

 エミリアは涙を溜め、首を振りながら

「おばさま、そんな悲しい事言わないで!早く病気を治して、いつまでも私とアダムのそばにいてください。」

 

「おお、エミリア、もうサヨナラよ。気をしっかり持って聞いてほしいの。いい事?

 貴方達ふたりは、私のかけがえのない宝物よ。 だから自分を大切に生きて。 そして神様に恥じないよう正直に、誠実に、お互いにいたわりと優しさを持って。

 

 そして誰よりも幸せに生きて頂戴。お願いよ。分かった?お願い・・・。」

 

 1983年10月20日ついに息を引き取った。ヨアンナ68歳だった。

 

 ポーランドの真の夜明けに立ち会うことができたヨアンナ。波乱に満ちた人生だった。

 

  最後の瞬間、幼い頃の両親の事。シベリアでの苦難の事。日本での出会いと生活。ヴェイへローヴォ孤児院の事、井上敏郎の事。夫であるフィリプの事。全てが遠い過去の想い出であった。

 彼女が培ってきた経験からくる教訓は、我が子アダムとエミリアにしっかり受け継がれた。そしてその魂の種は、しっかりポーランドの大地に撒かれ息づいている。

 

 ヨアンナに天使のお迎えがやってきた。

 清らかで美しい音楽が聞こえてくる。

 

 

 アダムの盟友レフ・ヴァウェンサ(Lech Wałęsa)は日本では「ワレサ」委員長(当時)として報道、紹介されている。

 

 彼ら自主管理労組『連帯』を世に知らしめ、当局と対峙しソ連の動きも不気味だった時、世界中の報道機関が連日緊張感を以て伝えた。

 それまでの歴史から得た経験的記憶から、いつ力で潰されてもおかしくない程、危機との隣り合わせの状態にさらされていたから。

 そんな彼ら『連帯』を取り巻く状況は世界中の注目の的であり、あの時代を生きた人で知らない人は居ない程の有名人であり、団体であった。

 全世界が彼らの勇気を賞賛し、味方だったのだ。

 初代連帯議長に就いたワレサ氏は、次いで1990年初代代大統領に就任、次々に自由化、民営化政策を断行した。

 

 

 EU加入もNATO加盟も彼の功績である。

 もう崩壊したソ連の後のロシアを恐れる必要は無い。

 

 ワレサ大統領は政敵から共産党当局のスパイとして疑惑を掛けられたり、権力欲に染まった俗物であるとの中傷を受けながらも、彼はそんな疑惑や中傷を撥ね退けるほど、誰にも実現できなかった偉大な功績を残している。

 自由ポーランドの建設に歴史の年表に残る程の絶大な実績を以て寄与したのだ。

 そんなワレサの盟友アダムは彼の栄光を受け継ぎ、第2代の大統領に就任した。

 

 

 

 これらはパラレルワールドでの、隣の世界のお話。

 

 

 

 

 アダムは晩年、母の意を汲みこんな言葉を残している。

 

「強い者が弱い者を虐げるのは世の常である。 しかし、それを許してはいけない。

 国家でも、地域社会でも、会社でも、学校でも家庭内でも強い者が弱い者を虐げてはいけない。弱い者にも意思があり、現にこの世を生きているのだ。

 この世を生きる万人の人権や人格を損ねてはいけない。そんな行為を見過ごしてはいけない。そういう者たちこそ、社会を指導する立場から引き摺り降ろされるべきである。

 自分がどんな立場にあっても、勇気を持って立ちはだかり正すべきである。この世からそんな理不尽を絶滅させるため、人は努力すべきだ。 それこそが人類の進歩と発展なのだから。

 神の求める真の生き方を追求せよ。」

 

 今ここで問う。

 EUの一員として自由な空気と尊ばれる人権と愛に満ちた国家をポーランド国民は掌中に収めたのか?

 未来永劫の幸福を得る資格を得たのか?

 

 それは各々の国民の意思と、神と未来から見た歴史のみぞ知る。

 

 

        

 

        終わり

 

 



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