uparupapapa 日記

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奇妙な果実〜鉄道ヲタクの事件記録〜第7話 南満州鉄道と百合子の二度目の懐妊と島村の結婚

2024-05-26 05:21:48 | 日記

 今回からこの物語の名称を『奇妙な果実』という表題を加え、【奇妙な果実~鉄道ヲタクの事件記録】としました。

 

 今回は内容の一部に、残酷な説明描写が含まれます。

 苦手な方はご注意ください。

 

 1910年の日韓併合後、日本は清国と直接国境を接する事となる。

 前話(第6話)で触れたが、当時日本は日露戦争で辛勝したにもかかわらず、依然ソロシアの脅威に晒され続けていた。

 その紛争の火種となる地域はやはり中国東北部の満州。

 強大な国力を誇るソロシアに対抗するには、満州を緩衝地帯として日本が掌中に収めておく必要があった。

 当時の朝鮮と満州の国境「豆満江」の中州に『間島』と呼ばれる朝鮮族の居留地があったが、その朝鮮族は間島を超え、次第に国境北部の満州地区に増殖し、清国との間に軋轢が生じた。

 日本は新たな日本人となった朝鮮族保護を名目に在間島日本総領事館を設置、1911年になると、辛亥革命で清が倒れ中華民国が成立する。

 その後、中華民国と日本の間に新たな条約を締結しないまま、それまでの清国と結んだ条約に基づく国際慣習法というあやふやな状態が続いていた。

 そんな状況の中にあって、日韓併合後の朝鮮半島への新たな鉄道敷設、更に日本は以前日露戦争後にロシアから敷設したばかりの南満州鉄道を購入、維持発展に務めている。

 その後日本の関東軍と中華民国は南満州鉄道沿線等で幾度も小競り合いを続け、その結果とうとう1931年(昭和6)9月18日柳条湖事件に端を発した満州事変が勃発、関東軍は約6か月で満洲全土を占領した。

 

 

 

 

 秀則が鉄道局技師となって以降、日本の国土膨張に伴い鉄道の発展が一気に加速した。

 当然秀則の職責も大きく拡大、責任の重さと期待度も発展に伴い大きく変化する。

 と云っても秀則の担当は日本国内に限られ、朝鮮鉄道(朝鉄)と南満州鉄道(満鉄)は管轄外ではあったが。

 とはいえそれまで朝鮮半島にあった既存の鉄道会社六社の寄せ集めの朝鉄と、ロシアが建設した満鉄は軌道の幅や仕様、職場環境が全く違い、日本国内の鉄道仕様や組織環境、技術水準の整合性を図る意味でも秀則の存在は重要性を増していた。

 しかも一時的ではあるが、10年前の第一次世界大戦の戦後処理を取り決めたベルサイユ条約で、日本は山東省にあった敗戦国ドイツの鉄道も所管する時期が存在した。

 つまり一時的であったとは言え、今後の展開を考えるとドイツ仕様の鉄道まで知っておく必要があったのだ。

 当時世界最先端の技術を持つドイツ。知るべき知識と経験は、秀則に直接使命への影響が重く圧し掛かった。

 

 日本の鉄道局は独自の技術革新のみならず、世界各国の鉄道運営を学ぶべき必要が増してきたのだ。

 

 そのためにはまず国内仕様の環境の熟知が肝要で、今までにも増して秀則が地方各地への短期赴任が多くなる。

 その期間は長い時で半年、短期で3カ月から数週間、数日の出張で済ますこともある。異動が比較的短期とは言え、マイホームパパの秀則としては、妻や秀彦と別れて単身で暮らすのは非常に辛く、(人には言えないが、)ホームシックにかかり幾度も汽車を乗り継いで帰宅している。鉄道局への報告や調整の名目で。

 だがさすがに北海道や九州・沖縄や台湾(当時は日本領)への赴任はそう頻繁にとはいかない。

 遠方へ行くときは、清水の舞台から飛び降りるつもりで覚悟を決めていく事にしていた。

 秀則にとってこの時期は私的ストレスが溜まり、喫煙の悪癖がついたほどである。

 

 だから数か月後に帰宅すると長男秀彦の成長は目まぐるしく、仕事とはいえその期間の過程を一緒に過ごせなかったのは、誠に残念で勿体なく思ったものである。

 

 

 真冬の北海道から久しぶりに帰還した時も、東京の鉄道局への報告等を取り急ぎ済ますと、自宅(と云っても借家だが)へ一目散に向かう。

 

 戸をガラッと開け「今帰った!」と云うと、秀彦がトコトコと駆け足で出迎える。

「父さん、お帰り!」笑顔で元気な声を出す。

 僕にしがみつくと同時に、廊下の奥から百合子の声がする。

「アラアラ、そんな勢いで廊下を走って!いけませんよ!秀彦さん。」

 と懐かしい声。秀彦に「メ!」と優しく言うと、続けざまに「あなた、お帰りなさい。」と僕の目を見て言う。

「メ!」と言ったのは秀彦に対して?それとも僕に対して?と一瞬思ったほど、僕をジッと見据える妻の目からは万感の思いが伝わってくる。

 もちろん妻が僕に対して「メ!」などと言う筈はない。だが、こんなに長い間家を空けるなんて「メ!」と窘められた気もするし。

 

 それに北海道で過ごした期間に百合子は秀彦に僕への呼び名を「パパ」から「父さん」若しくは「お父さん」に変えるよう躾けられていた。

 まだあどけないうちにシッカリ教育しているようだが、何だか寂しい。

まだまだ「パパ」と呼んで欲しい気もするから。

 しかし、秀彦が「お土産は?」と聞いてきたときは、その成長ぶりに嬉しくもあり、不在の間自分だけ取り残されたような寂しさと悲しさも同時に沸いてくる。

「あるぞ!」と箱に入った土産を渡すと、再びパァっと明るい笑顔で「この中って、なあに?」と聞いてくる。

「なぁに?じゃないでしょ、『ありがとう』でしょ?」と百合子。

「さぁ~何だろう?」

「開けてみて良い?」と言いながら既に包装紙をビリビリ破っている。

 どうやら秀彦への躾はまだまだのようだ。

 箱を空けるのももどかしくしていると、百合子が手伝う。

「何だ、これ?」

「ブリキ製の蒸気機関車だよ」

僕がそう云うと、秀彦はオモチャをガシッ!と掴み、向こうの部屋に走っていった。

「気に入ったみたい。早速あのオモチャで遊びたいのね。」と百合子。

 秀彦の姿が見えなくなり、嵐が去った後のような静けさに包まれる。

そこへおアキさんが顔を出し、

「旦那様、お帰りなさいませ。お疲れでしょう?お風呂にしますか?お食事になさいますか?」と聞いてくる。

「ほら、おアキさんに北海道のお土産の『名物ウロコだんご』。」

「まぁまぁ、わたくしにまで!お荷物大変だったでしょう?」

「何の、何の!日頃からお世話になってるおアキさんには、これくらい当たり前だよ」

 (こんな時にしか点数稼ぎはできないもの)と心のなかで思った。

「まずはお風呂にでもお入りになったらどうですか?すぐにお支度しますので。」

 と、いそいそと奥へ下がっていく。

 

 やっとふたりになれたら、優しく百合子を抱き寄せ、耳元に小声で

「ただいま。」と呟いた。

 

 当然百合子にもお土産はあるが、中身はここでは内緒。

 だって夫婦間の秘密だもの。言っとくけど、勿論シャケや昆布や蟹などではないよ。

 

 こんな生活を幾度も繰り返すうち、数か月後に百合子から報告を受ける。

「あなた、出来ました。」

「何が?」

「子が。」

「へ?」

 さすがに今回は「何で?」とは聞かなかった。だってまた「あなた様はおバカですか?」って言われたくないもん。

 だが、たまにしか帰宅できなかったのにご懐妊?意外過ぎて「へ?」って聞き返したくもなるでしょ?

 我ながら今回は想定外の喜びだった。

 

 

 

 ちょうどその頃、アメリカではフランクリン・ルーズベルトが第32代合衆国大統領になっていた。

 学校の教科書でルーズベルトと云えば、世界恐慌からの不況脱却の政策を次々と打ち出した有能っぽい政治家として教わるが、その実態はどうだろう?

 

 当時のアメリカには(今でもそうだけど)表の顔と裏の顔があった。

 表の顔は第一次世界大戦後の列強戦勝国の中で、それまでの世界一の大国イギリスに代わり、一歩抜きんでた筆頭の一等国として世界に君臨しつつあった。

 大戦で疲弊するヨーロッパを尻目に、全くの無傷で勝利したアメリカ。

(と云っても、多数の戦死者の他、当時流行したスペイン風邪でこちらも多数罹患し犠牲者をだしたが。)

 南北アメリカ大陸の盟主として君臨していたのだ。

 

 一方、裏の顔と云うと、人種差別が蔓延する野蛮で殺伐とした未開人といえた。

 そもそもアメリカは移民の国。

 莫大な富を得たいと群がる開拓者たち。

 富を得るにはどうしたら良いか?

 その答えは格安の労働力を使って利益を得る事。

 その結果、おびただしい 数のただ同然の労働力が必要になる。

 

 つまり奴隷が。

 

アフリカ大陸から人間狩りで強制的に連れてきた黒人奴隷たちを安い労働力として使役し、白人優位の国家・社会を形成する。

 そして奴隷としての黒人は、優位に立つ白人たちに人としての尊厳を認められず、常に虐げられてきた。

 その状況は凄惨を極め、白人によるリンチで殺害される事件が国内各地で横行していた。

『事件?』そう、あまりに頻繁に、日常的に横行していたので、それはもう『事件』とは呼べない程殺伐とした状況にあったのだ。

 

 例えば、ただ白人女性と目が合った。

 

 それだけで不遜で【厭らしい目で見ていた】と言いがかりをつけられ殴る、蹴る、の暴行を死に至るまで受け続ける。

 酷い時には生きたまま火をつけられ焼き殺される。

 そしてそれらの傷ましい遺体は街中の木に吊るされ、見せしめとして風雨の中で晒される。

 

 そんな凄惨な風景がアメリカ国内(特に南部地方で)の至る所で見られたのだ。

 

 異常としか言いようのない殺伐とした凄惨な光景。

 想像してみて!

 こんな風景の中、夜中に知らずに遺体が吊るされたその場を通り目撃でもしたら、心臓麻痺を起こすほど ギョッとするだろう。

 そんな場所が至る所に存在する国。

 

 後に黒人女性歌手ビリー・ホリディが、その情景を歌っている。

 そのタイトルが『奇妙な果実』

 

 リンチの末殺害され、木に吊るされた黒人の遺体を『奇妙な果実』として歌った歌。

 

 彼らアメリカ白人たちは未開の首狩り族と一体何処が違うのか?

 まさにアメリカの白人とは、野蛮人そのものだった。

 

 そんな国の首領である白人大統領【ルーズベルト】。

 彼は後に対日戦争を画策し、戦争主導者として東京大空襲や広島・長崎への原爆投下の『マンハッタン計画』の立役者となった。

 

 

 

 

 不吉で暗い話はこのくらいにして、秀則の友、島村秀雄に話題を変えよう。

 彼は秀則にとって、高校・大学の学友であり、悪友である。

 彼は秀則と同期の鉄道省入省組。

 大宮工場・大井工場などの現場に着任。蒸気機関車の釜炊きなどの実習を経験、その後本省工作局車両課に配属、蒸気機関車開発の技師となる。

 1928年C53形蒸気機関車のシリンダーを設計するなど、その後の機関車設計に生涯かけて携わった。

 

 結構華々しく有能な経歴をもつ彼だが、私生活ではどうだろう?

 高校時代の野球部からの付き合いだが、ふたりとも肩書の割に何故か女性に持てない。

 秀則は奇跡的(?)に百合子を射止めたが、秀雄はけっこう苦戦していた。

 秀則の知る限りではお見合いを2度経験していることになっているが、実はその他に内緒で2度、合計4回のお見合いの末、ようやく結婚にこぎ着けた。

 別に容姿に問題がある訳ではない。

 性格や人格に致命的な欠陥がる訳でもない。

 

 ただ・・・

 

 技術屋にありがちの、没頭すると周囲の様子が目に入らなくなる人種であった。

 だから見合いの席でも自己紹介で職種の説明を始めると、だんだん気分が乗りはじめ、自分の専門の話に没頭する傾向があった。

「私が手掛けた蒸気機関車の心臓部はシリンダーでね、・・・・」等々である。

 そんな話題が延々と続き、相手は飽き飽きして退屈しているのに、その空気が読めなくなる。その点だけは、極めて残念な男であった。

 秀則の指摘とアドバイスが無ければ、多分4度目の見合いも上手くいかなかっただろう。

 

 ようやく挙げることができた華燭の宴。

 島村は有頂天で花嫁の隣に座っていた。

 友として出席していた秀則は、酒を注ぎにひな壇へ進む。

「島村、おめでとう!噂に違わぬ美人さんの花嫁だな。

 ヨッ!ご両人」

「影山、酔ってんか?そんなに飲んでいないだろうに。」

「あぁ、酔ってるよ!お熱いご両人にあてられていたら、そりゃ酔いもするだろ?」

「私の噂ってどんなですの?」

 花嫁と初めて言葉を交わす内容がこれか?

「あぁ、お初にお目にかかります。私は影山秀則。島村とは高校時代からの腐れ縁の仲です。

 彼とは昔から色々ありましてね・・・」

「オイ!余計な事話すなよ!」

 僕の結婚式の時の仇を打つ絶好のチャンス!

 だが、僕は友の結婚式をぶち壊したり、台無しにするほど無粋な人間ではない。

 

「余計な事?あなた様には、私に知られては不都合な事がそんなにお有りですか?」

 花嫁の目に疑念が浮かぶ。

 すかさず私が名誉挽回のため、割って入る。

「以前島村に結婚が決まったとの報告を受けた時、私にお内儀の写真を見せて貰ったのですが、とてもお綺麗で優しく、話が合う理想的な女性だと言っていたのです。

 悪い噂どころか、デレ~として天まで昇らんばかりの有頂天でしたよ、島村は。」

「オイ!」

「別に良いだろ?ホントの事だし。結婚をぶち壊しにする様な内容じゃないし。」

「言い方!恥ずかしだろ!このイケズ!」

 

 どうやら今後の彼らの夫婦関係は、花嫁側がマウントを獲ったようだ。

 

 僕のせいだが。でもね、決してこれは彼に対する仕返しなんかじゃないよ。

 誓って違うからね!

 

 

 

 

 

     つづく

 


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