平蔵は不安な気持ちを抱えながら、内閣府別館(別班ではない)と呼ばれる部署が入る霞が関第5合同庁舎入口に佇む。
さすがにネット政変以前のような権威主義と特権の象徴を具現化した物々しさは影を顰めたが、入口玄関自動ドアの扉は心なしか重厚な動きで開くし、警備員の数はそれなりに多い気がする。
受付は女性2名だが、両隣には屈強な若い警備が立哨している。
受付の女性はどちらも奇麗だが、どっちに話しかけようか躊躇していると、右の受付係の女性がいち早く頬笑みかけてくれたので、その人に平助にとって出来る限りの笑顔を見せ、先日郵送された書類を示し行き先と要件を手短に話すと、担当部署に電話し確認してくれた。
そしてエレベーターで、5階の内閣府内閣官房行政執行監督署へ進むよう案内される。
5階に着きエレベーターの扉が開くと、そこにも受付があった。
そこの受付係以外にも見知らぬ30代男性2名が立っている。
それともうひとり、スーツ姿の切れ者官僚風の男性が。
平蔵の姿を認めると歩み寄り名刺を差し出した。
「竹藪平助様ですね?
私は首相専属教育係の板倉と申します。竹藪様の職務や心構え、必要な知識・情報のレクチャーする事になるかもしれませんので、以後お見知りおきください。」
感じの良いトーンの話し方だが隙が無く、気が置けないとは云えないタイプの印象を持った。
多分接するうちにお互いの距離を縮められるだろうと楽観する平助だが、それはどうだろう?自分が隙だらけの分、お互いを知るにつれ、離れていきそうにも思うし。
とにかく自ら虎穴の飛び込んだのだから、もし奇跡的に自分が選出されたら悔いが残らぬよう一年間全力で取り組もう。そう思った。でもこの期に及んでまだ自分が総理大臣になれるなんて全く信じていないが。
マジマジと名刺を眺め「『板倉翔平』さんですか・・・、とても良いお名前ですね。有る分野で世界を股にかけ活躍されそうに思います。」
「ありがとうございます。でも私にお世辞は結構です。私は裏方の仕事に徹し、次期総理大臣を全力でサポートするのが職務ですので。
今後の私とあなたが担う事になるかもしれない仕事への取り組みに、この国の命運がかかっています。
もしあなたが選出されたら、緊張感を持って真剣な仕事をしてください。」
「え?私は首相の仕事なんて、マニュアルさえ守っていれば、誰でもこなせると伺ってきたのですが?」
「確かにマニュアルはあります。そしてマニュアルさえ逸脱しなければ致命的なミスは避けられます。でも首相とはこの国の最高の頂きに立つリーダーです。
そしてリーダーを仰ぐ人々は、それぞれの思いを抱えた一個人の集まりです。
マニュアル通りの動きや言動だけでは、人に感動を与える事はできません。
最後はリーダーがどれだけの魅力を発揮するかです。」
「(ええ?聞いていたのと話が違うし)私に人を束ねたり、動かす力も魅力もありませんよ。無理無理!!
だいたい私は高卒だし、社会科以外ほぼ赤点だったし、ただの一般人で工員に過ぎないし。彼女いない歴=実年齢だし、当然女性にもてないし(彼女もどきのカエデはいるけど、彼女の数にははいらないし)お金無いし。
他人にアピールできる要素は何もありませんよ。」
「そんなの見たら分かります。でも貴方の本当の魅力は隠れたままなのかもしれませんよ。こういう大一番の状況に立たされたら案外火事場の馬鹿力が出るものですしね。」
(自分は謙遜したつもりなのに「見たら分かります」って失敬な!)と思ったが、それには触れず、
「私なんかに火事場の馬鹿力が出せるものですかね?」と聞くと、
「たとえ話ですが、以前追手に追いつめられた男が、目の前の川を夢中で飛び越えたそうです。飛び越えられなかったら捕まり殺されるかもしれない程ひっ迫した状況で。
後日その川幅を測ったら10mもあったそうです。
オリンピック選手でも無理な距離を、幅跳びなどの経験もないズブの素人の一般男性が夢中になれば飛べたんです。
彼に出来て、貴方に出来ない筈は無い!そうでしょ?」
「ひぇ~、その飛躍した論理には、無理があり過ぎでしょう。」
「まだあります。あの同時多発テロの時、自分の倍以上の体重のけが人を背負い1階まで駆け下りて救い、その後また災害階まで登って何人も救った人がいたり、自分より大きなクマと素手で戦い、撃退した男がいたり・・・それから・・・」
「もういいです。私はそこまで追い詰められなければいけませんか?そんなに厳しい仕事なんですか?」
「いいえ、そうではありません。職務の担当期間はたった1年です。
逃げて隠れて過ごすのも一年、全力で体当たりして砕けるのも一年です。
貴方がどちらを選ばれるかの話です。
因みに私はアメフトやラクビーに凝っていて、全力タックルする人が大好きですが。」
「結局熱血路線ですか。私は文科系か帰宅部専門のナヨナヨ男でご期待に添えそうもないんですけど。」
「貴方の意志次第ですが、私の期待ではなく、国民の期待に添いたいかどうかです。
切実な願いをもった人々や、明日の生活に展望や希望を持てない人。
子供の明るい将来を切り開きたいか、高齢者の希望ある生活をおくらせたいか、外国の侵略から国民を守りたいか、多くの国々と親交を深めたいかなどです。
貴方が何処まで国民の希望に応えたいか、貴方の意志に掛っているのですから。
それが内閣総理大臣の仕事です。
そして幾人もの総理大臣候補からあなたを選出するかどうかは、同じくネットで事前に選出した数百人にも及ぶ内閣官僚選出委員会メンバーの意思です。(この人たちもその場限りのメンバーです)
彼らは年収・社会的地位・学歴・社会良識テストで筋金入りの立派な庶民と認定され、多くの一般人の願いを叶えたいと切に願う良識を持った人たちです。
そう云う意味で正しい人を選ぶか、間違った人を選ぶか、最後は人選も人が行うのです。
政治は人です。人が動かすのです。
行政を執行する方も受ける方も人。人なんです。
だからこそマニュアルだけでは応えられない職務なんです。簡単に済ますこともできるし、歯を食いしばって頑張らなければできない偉業もあるし。
簡単に済ませたいなら、政変以前の腐敗から失脚した『増税クソメガネ』と揶揄されたロクデナシ政治屋さんと何ら変わりません。
でも、志を持ち、強固な意志があれば、誰でも出来る仕事です。」
まっすぐな目で板倉は断言した。
平助はやっぱり板倉は苦手だと感じ、親密な仲になるのを心の中で断念する。
その不安が残る気持ちと裏腹に、平助はその後総ての手続きを終え最後の審判に備えた。
その後数日経って、結果が送られる。
やっぱり平助がネット政変以降の第3代内閣総理大臣だってさ。
その夜、平助のアパート『むつみ荘』から「ヒェ~!」という叫び声と、カエデの「アッハッハッ!」との笑い声が聞こえてきたって。
メデタシ、メデタシ。
つづく