退院

2016年03月27日 | おとうちゃん

27日日曜日の午前中

お父ちゃん 退院した

なので、午後実家に行った

黄疸は大分改善していたが、まだ黄色だった

時間が経過すれば改善するのか、肝臓への転移があるから

また強い黄疸が出るのかわからない

実家に着いたとき、お父ちゃんは近所に出かけていた

ゲートボールと老人会の会長をしているので、忙しいらしい

 

土曜日、母と弟で医師と話し合いをした

その後、お母ちゃんから電話があった

「抗がん剤が効いても 8か月くらい 1年はないだろう」

 

母は医師の気を使った言葉の端はしに、希望をつなごうとしていて

要領がえない

弟と電話で話をした

もともと、糖尿病があったが、入院中に血糖値が急上昇した

もう、インシュリンを出す臓器が機能停止状態で

糖尿病の末期でもあるという

 

その後、父も参加して、今の状態について医師から説明があった

医師は話の仕方を心得ている

 

「5年・3年は厳しいですが、今は良い薬がたくさんあるので、半年・1年ではありません」

 

こんなことになるとは、全く考えていなかった

でも、何か予感があったのかもしれない

 

1年前から、旅行の話が出ていた

父母がスポンサーで「孫たちを飛行機に乗せてやりたい」旅行

 

息子の高校受験・甥っ子の中学受験が終わり、この春休みに計画されていた

 

入院時、父は 子供や孫との旅行にどうしても行きたいと、医師に話してあり

医師も「大丈夫です。楽しんできてください」と ロキソニンを念のために出してくれた

 

実家では、少し疲れているお父ちゃんと、時々おしゃべりをしながら

弟と義妹さんと、旅行の詰めの話をした

 

総勢8人

じぃちゃん ばあちぁん おじさん おばさん おばさん 高1・中1・小3

 

うちのとーちゃんは、最初から「行かれない」だった

こんなことになるとは思っていなかっただろうけど

これまでの数々の経験から、いない方が  快適なのです

 

 

 

お母ちゃん曰はく

「家にいるお父さんは、入院前と少しも変わらず、病気とは思えない」

お父ちゃん曰はく

「面倒だから、ご近所さんにも、親戚にも話すな」

 

普通の生活ができているうちは、病人扱いをされるのは嫌だよね

 

 

みんな 、混乱しています

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

迷路にはまる

2016年03月22日 | おとうちゃん

 

 

 

連休最終日は、息子の部活動の「送る会」だった

3年 vs スタメンの練習試合が行われた

なにもなければ、楽しい時間だった

でも、私の気持ちは弾まない

 

若くて健やかな肉体の躍動を見ながら、父の姿がよぎった

父も、15歳の時は、健やかな肉体をもっていたのだろう

私もそうだったし、みんな等しく平等に 若かった

 

そして、いつのまにか・・・・・衰えていく

 

生き物として生まれたのだから、当たり前のこと

考える余地など、何もない

それでも、私の思考は、答えの出ない何かの答えを探そうとしている

出口のない迷路にいるような気分だ

 

連休明けの火曜日

私は、高校の入学説明会にいった

資料が手元にあるので、真剣に話を聞く必要はない

ぼんやりしていたら・・・・・

想定外だったPTAの役員決めがはじまった

くじで大当たり

私は、3年間役員をすることになった

諦めた私は、さらにその後の顔合わせで、書記に立候補した

なかなか決まらず、イラッとして手を上げてしまった

 

この入学説明会のため、父の 胆管閉塞部分に管を入れるという手術に立ち会えなかった

手術だと思っていたが、口からの内視鏡に変更され

40分ほどで施術は無事終わったと、母から連絡がきた

明日の朝から、父は ご飯を食べられる

管から、胆汁がうまく移動できれば、父の黄疸は一時的に消える予定らしい

 

その後どうなるのか、誰も聞いていない

父はいつまで家にいられるのか・・・・

 

 

コメント欄を閉じています

今私の気持ちは攻撃的で

優しい言葉や励ましの言葉に、攻撃をしてしまうかもしれません

受け入れるには時間がかかりそうです

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何に対して怒っているのかわからないけど、怒りの感情しかない

2016年03月21日 | おとうちゃん

昨日、日曜日、お父ちゃんの所に3人で行った

途中、実家により、お母ちゃんを乗せたので、4人。

お母ちゃんの目は落ちくぼみ、腫れていた

「眠れた?」聞いてみた「明け方眠れた」と言っていた

母子で同じような顏をしていた

告知されて、一番辛いのは、お母ちゃん

お父ちゃんは消化器内科 9階の 特別個室にいると聞いていた

緊急入院のため、部屋がなかった ということらしい

 

 

お父ちゃんは、さび色の尿がでて、その日のうちに病院に行った

16日に大学病院に入院した

病室に入ってから、絶食をして、点滴をしている

「17日まで何でもなかっただけど、18日から黄疸がでた」

お母ちゃんが言っていた

 

お父ちゃんは元気だった

黄色かったけど、点滴下げてたけど、元気だった

母から何かを受け取って書き始めた

「同窓会と自治会の懇親会の幹事をしているから、急な入院で余計忙しくなっちゃったよ」

4月は伊豆に1泊2日  5月は房総に1泊2日 

往復はがきに宛名を書き始めた

書きながら、話をし始めた

 

60歳の時に頸椎ヘルニアがわかり、手足の麻痺が始まったときに、手術をした

70歳の時に前立腺がんの手術をした

「80歳でまた入院だよ。俺ばっかり迷惑かけてるな~

60と70の時は辛かったけど、80だから、もういいんだ」

お父ちゃんは笑っていた。気が付いている。でも月単位だということまでは知らない

 

幸い、父母はネットができない

これから お父ちゃんの身体に起こるであろう変化の過程を知るすべがない

知りたいとも思わないだろう

 

 

9階の個室の部屋の眺めはとてもよかった

川が見え、スカイツリーが間近に見え、東京下町が眼下に広がっていた

 

 

 

受け入れることができない私は

やり場のない怒りと恐怖で、体の奥の方から震えがくる

油断すると、涙がこみ上げてくる

 

私はもう十分いい年をした大人で、年齢的にも父母に対して保護者のような立場にある

でも、父母と一緒にいると、子どもに戻ってしまうらしく、毎回小言を言われてしまう

それが心地いい

 

 

病院の帰りに、お母ちゃんが「回転すし行こう」と気を使ってくれた

 

 

 

普段はあまり、食べないのだが

意外なほど、母は食べた

前日の告知から、きちんと食べていなかった

 

いずれ、諦め、受け入れるのだろう

新しい局面に自分を慣らしていかなくてはならない

でも、今は怒りと恐怖の感情しかない

 

 

吐き出すために書いてます

落ち着くために書いてます

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天に向かって唾を吐いても、時間は流れる

2016年03月20日 | おとうちゃん

昨日連絡があった

実家のお父ちゃん

血尿のようなものが出て、病院にいった

大学病院の紹介状をもらった

16日に行った

即日入院になった

胆管閉塞 管を入れる腹腔鏡手術を受けることになった  22日

そして27日に退院

それで終わると お父ちゃんもお母ちゃんも 思っていた

でも、昨日 母と弟と医師との話し合いは違っていた

すい臓がん だった

ステージ4b 末期だった

症状がでたら、すでに末期 一番  性質の悪い癌になった

半年あるかないか

せめて、年単位の時間が欲しかった

 

受け入れることができない

どこに怒りをぶつけていいかわからない

今年80歳になる お父ちゃん

仕方ないけど、いきなりの 半年は うけいれられない

 

 

ふざけんなよ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする